2007-01-29

あるある大辞典問題で、「信じていた奴がバカだ」という奴がバカだ

あるある大事典データねつ造問題で、「テレビなんてそんなものなんだ、そもそもあるある大事典なんかを信じている方がおかしい」などという論調をよく見かけるが、そんなことを言って”賢そうに見られたい”馬鹿を見るといらいらする。「テレビなんか全てトンデモ(嘘)として楽しめ」という言葉も、同じようにいらいらする。

テレビに信頼を求めて何が悪い?

テレビから流れる情報盲目的に信じてしまうのはまずい、という主張は理解できる。あらゆる情報に対して、常に批判的な目を持っていることは大切で、嘘に気づく力も大切だ。しかしテレビが嘘ばっかりでできているとあきらめてしまうことはもっとまずい。それはテレビの嘘を許していることに他ならない。テレビが嘘を流し続ける状態で、日本はよくなるだろうか?テレビから流れる情報が常に信じられる状態と、ほとんど信じられない状態で、どちらの方が世界がよくなるだろうか?

テレビは今でも最大の影響力を持って日本に君臨している。そのテレビが、有害情報や嘘、役に立たない情報を流していると思ったら、それを見ているみんなに警告し続け、嘘を流し続けるテレビ局怒り続けるべきだ。テレビにはこんな情報が流れていてほしい、みんながこんな情報に接していれば世の中はもっとよくなるのに、と思う、それ以外の情報が流れているなら、そのことに対して怒りを表すべきなのだ。

世界をよくするために。

「信じている方がおかしい」と言う人たちは、おそらく気づいたときにそのことに怒り、警告を発したこともあったのだろう。そしてその怒りをもってしても世界を変えられないことに対して、冷笑的に対処するしかなかったのだろう。だからといって、今怒っている人に対してそのことを非難するような行動は慎んだ方がいい。ここでは怒ることが正しいのだから。

「嘘として楽しめ」という奴はもっとたちが悪い。確かに「嘘か本当か分からないような手順で嘘をついて、見抜けた人だけが楽しむ」という遊技はとても楽しい。しかしそれはテレビでやることではない。明らかに、それを嘘と見抜けない人々が大量にいるのだ。ごく一部の頭のいい人だけが、”嫌な”楽しみかたのできる番組などを流して、世界がよくなっていくと思うか? だまされる人をフォローせずに、テレビでその遊技を楽しむべきだと思うか? 私は思わない。

私はテレビからは信頼できる情報だけが流れるべきだと思う。そのために今回の件では怒るべきだと思うし、少なくとも怒っている人に対して、その怒りをバカにするような反応はすべきではない。

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