はてなキーワード: シャオニャンとは
しかし考えてみて欲しい。恋愛感情が生殖に密接に関係している以上、その嗜好もまた生殖欲求に影響されるのではないだろうか。すなわち、性的に最も栄えある時期、一般には二十歳程度といわれているその時期の相手に対し、最も魅力を覚えやすいのではないだろうか。特に、それが男である場合には(女の場合、哺乳類である以上ある一定の保護が必要であるから、若いだけでは評価されにくいかもしれない)。
ところで、朝方ちょっと近所をぶらぶらとしていたら、ご近所の娘さん(十五、六くらい?)に挨拶された。事務的なものを除いては五、六年ぶりに挨拶されたので、キョドってしまって挨拶を返せなかったのだけれど、まあそれはいいとして。私の記憶では、つい最近まで、夕暮れ時に住宅街の路上に、如雨露で水掛けて絵を描いたりなどしていた、年の離れた小っこい小っこい小娘(小娘だなんて失礼だと感じたらシャオニャンと読んでね)だったのに、帰るのが遅くなってちょっとの間見ないでいる内に、肌を小麦色に焼いた、優しい目をした立派な娘さんになっちゃって、目が合ったとき、私にも分け隔てず接してくれた同窓生の子が、その時の姿のまま現れたように感じてしまって……そんなのを見ると、ああ、まだまだ若いつもりだったけれども、ずいぶんと歳を取ったのだなあと思ってしまった。それと共に驚いたのは、前にはあれほど年が離れていると感じていたのに、その娘さんを見たとき、少し歳下なだけの娘さんを見たように感じた……というと言い過ぎかもしれないけれども、知らず知らず自分で築き上げてしまっていた歳の壁が、その時崩れたというか、小娘として見ることが出来なかった。あのまま長く接していたら、もしかしたら心惹かれていたかも知れないし、ありえない仮定としては、抱けと言われれば……童貞だから知らないし、無理だけれど……その気は起きるのは確実だった。それで、冷静さを失って、挨拶も返せずに、逃げるように彼女の横を急ぎ足で素通りしてしまった。
ああそう言えば、成人式の日。同年代の女どもはもはや知った顔とはかけ離れていて、殆ど誰が誰だか判らなかった。知らないケバいお姉さんたちを見ているようで、私は内心恐かったし、自分が場違いな存在である気がして落ち着かなかった。旧友が結婚したと聞いたときも、私は男友達とじゃれあってばかりいて、恋人などいなかった(今も継続中だけれど)から、ちょっとした衝撃を受けたっけ。まだまだ心は少年気分で、エロ漫画など読んでは、下半身を反応させるばかりでなく、背徳的な羞恥心に顔を紅潮させていたのに、そんな自分と同年代で、大人としての道を歩み出したやつがいるというのはにわかに信じられなくて……結局、式にも出なかった。そんな衝撃を、私はあの娘さんに出くわすまで忘れていたのかもしれない。
共に老いさらばえていく妻や女友達を持たない男、そうした男しか友人を持たない男は、知らず知らずのうちにロリコンと化しているのかもしれない。