はてなキーワード: 本田圭佑とは
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二つのエントリーを読んだが、自分はどれほど理解できているのかわからない。
こういうのは読む人それぞれの見方があるだろう。
だからこれを読んだ自分の思ったことを率直に書いてみる。
これはあくまでも一つの視点だ。
人にはそれぞれに様々な欲求がある。
彼女がほしい。
あの本を読みたい。
あの人と喋ってみたい。
あそこへ行ってみたい。
勝ちたい。
生きたい。
これらは十人十色なのだから、いくらあげてもキリがないだろう。
さて、これらの欲求に目的とか理由やらを考えてみる。
あの人と喋ってみたい。→魅力的な人だから。
このように、目的や理由を考えてみるといくつか出てくる。
では、これらの理由を欲求の前に加えてみよう。
魅力的な人だから、あの人と喋ってみたい。
自分の場合、欲求の前にこうした理由を付け加えると少し違和感が出てくる。
~だから~をしたいのか?
~をしたいから理由や目的が出てくるのであって、まず沸き上がってくるのは~したいという欲求。ただそれだけ。
あるCMで本田圭佑選手が、「子どもの頃から一番になりたかった。今もそれは変わらない。理由なんて特にない。」と言っている。
目的や理由なんていうのは、後から付け加えようとして考えることだと思う。
他にも、「人を殴るのはいけないこと」というのにも理由なんて無い。それは当たり前のこと。
でもそれを誰かに説明する場合、そこで初めて理由というものが必要になってくるのだ。
結論としては、「あいつに勝ちたい」とか「~大学へいきたい」だとか、そういうのに目的や理由は無くてもいいんだよということ。
ただ何となくでもいい。
もちろん、~したくないのにも理由はいらない。
しなきゃいいだけ。
「状態動詞」でも同じことだ。
生きているのにも、誰かを好きなのにも目的や理由なんて必要ない。