私は幼い頃から対人関係が苦手だった。
「正しい」対人関係を築くことが苦手が適切かもしれない。
友人だと思っていた人間にはマウントを取られ続け、息苦しい中で過ごすことが多かった。
私も同じことをしていたのだろう。いつも私の身の回りには似た事をする人が集まる。
私は今年で27になるが、学校関係以外で1つのコミュニティに2年以上在籍するという事が一度もなかった。
他者との適切な距離感がわからないのだ。
人にこれを言えば嫌がられる、嫌われる。こう発言すればトラブルにならない。他者から悪意を受けた時にどうすればよいか。
そういった人間生活に必要な知識が欠損している。
結婚を考え始める年齢で何故このような事で悩んでいるのだろう。
今になるまで傷つくことを恐れ、自分の楽しみを優先して気の合う人間だけと付き合いを続けてきた。
閉鎖的なコミュニティの中で他者の悪口をいい、傷を舐めあい好き勝手やってきたのだ。
そんな人間が今になってまともに他者とコミュニケーションをとりたいだなんておこがましいことだ。
対人関係において信頼は大事な要素の一つだ。
他者と関わりを持ち、遊ぶときでもこの人にはここまで言い合っていいというラインがあるはずだ。
自分がそのラインを踏み越えてしまった場合どうすればいいのか。相手に踏み越えられた場合どう反応すればよいのか。
何もわからない。
一番簡単な「怒り」という感情表現しかできないため度々トラブルを起こし入ったコミュニティを何度も抜けてきた。
良い年をした人間が何故こんなことを繰り返すのだろう。
先日、限られた人間関係の中で育った精神的に未熟な子供は適切な感情表現ができず大事にしたい人との間に軋轢や摩擦を生むことで学習し成熟していくという文章をSNSで見た。
私はまさにいまこの状態だ。
しかし、先日SNSで見たこの文章はアニメに対しての感想だ。私が直面している問題はアニメじゃない。本当の事である。
また新しいコミュニティに入り同じことを繰り返しながら対人関係を学んでいくべきなのか?
人間は学習し変われるなどという綺麗ごとを信じ周りに悪影響を出しながら自分の成長だけを見るべきなのか?
私は一人で過ごすことは耐えられない。
コミュニケーションを学び、円滑な人間関係・友好関係を築き過ごしたい。
しかし今の状態は毒をまき散らしているテロと同じだ。
今更後悔したところで遅いが今後も同じことを繰り返しながら学ぶしか私はやり方を知らない。
今より若いうちにもっと対人関係を学んでおくべきだったと深く後悔している。
絞首刑は、比較的安楽に死をもたらす死刑の執行方法であると考えられており、1952年に、東京大学名誉教授で医学博士の古畑種基は、ある事件の鑑定書において、絞首刑によって受刑...
ド辛辣ぅ