例の女子中学生胸糞自殺事件について、亡くなった被害者やその遺族、あるいはこの事件に怒り狂う世間、周知されるべき重大事件とする世論に対して舌打ちしたい気持ちを抱いているのだろうか?
例えば「旭川のイメージ悪くなるから騒ぐなよ」とか「部外者がうるせえよ」とか「もうこの話やめろよダルいわ」とか、ある意味で被害者の尊厳や無念を切って捨てるような気持ちでいるのだろうか?
旭川が末期的な「ムラ」なのかどうか確かめたいのだ。
末期的な「ムラ」ではややもするとコミュニティから自浄能力が失われ、原因究明と再発防止がタブーになりがちだ。
どの医者も逃げ帰ってしまう秋田のあの曰く付きの村なんかは「今までのことを反省して、村民の意識を改める」なんてことは起こらず、医者に呆れ、世論がおかしいとふんぞり返るだけだった。
性犯罪者が生まれてしまったとき多くの慶応義塾在校生やOBは「とんでもない奴。慶応の恥」と憤るのではなく、「慶応を叩くな!!!」とトンチンカンな反応をした。
旭川が末期的な「ムラ」なのかどうか確かめたい。
君たちは今回の悲劇を受けて加害者や学校関係者に怒り狂っているのか?
???「で、何人いたら認定してくれるの? 50人?」
原因究明?されるかどうかと居住者の当事者意識って関係なくね? 村の恥!みたいなのはそれはそれではムラそのものだろ