弱いんだから救ってよみたいな論法のために弱者って言葉を使ってるんだろうけど、結局ただの敗者だよね
身体的な特徴とか知能、環境は他の人たちと何も変わらないのに現時点での「遅れ」を埋めるために救われるべき存在でありたいというスタンス
正しくは人生に失敗した失敗男性
もしくは競争に負けた敗者男性
そう呼んだ方が良いのだろうけど、当の弱者男性自身が失敗も負けも認めたくないまま救ってもらうために弱者でありたいと願ってる訳だから、多少の齟齬を含みつつも弱者男性という言葉を使い続けるしか無いのだろうね
Permalink | 記事への反応(1) | 06:05
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間違ってないと思う だけどリベラルは弱者男性に対して、マイノリティの差別解消のために連帯して運動せよ、などと口が裂けても言わないでくれ
弱者男性に何か行動を求めるというのは不可能なのはわかってるつもり
急進的に意識を変えるというのは、何事でも難しいと思う。特に社会の習慣や文化に紐づいた意識というものは。 意識の変化は数十年かけて進むものだろう。残念ながらその間、不満を...