2021-05-09

インターネットがうまくできない。最近ツイッターを眺めていると、殺人事件とピクニックと学校の授業と猫カフェと集団リンチが同時に行われている場所に見えてきて、くらくらする。でもいろんな人がいろんなことを言っているのは面白くも悲しくもあって、つい眺めてしまう。ものすごい濁流が目の前にあって、自分も何か言ってみたいけれど、難しいので何もしない。ネット上で話す人はどれくらいいて、黙ってみている人はどれだけいるのだろうか。沈黙している人たちは何を目にしていて、思っているのだろう。めまぐるしく入れ替わる情報と議論と感情の吐露と沈黙があって、もうそれが現実にも影響を及ぼしている。

単純にネット上の議論が現実の政治を動かすとか、そういうことだけではなくて、もっと人の個人的な部分にも直接影響している気がする。インターネット前とインターネット後の人間はまったく違う心の構造を持っていそうだし、普段はただ眺めているだけの自分でさえ、もうインターネットがなかった頃の感覚を思い出せない。

現実は知覚できる標準的な外の世界と、自分の内側にある心の世界だけではなくて、そこにバーチャルの3つ目の世界がもうとっくに侵入しているみたい。生まれた時からスマホと一緒の世代の人々(今はまだ子供だけど)は日々の生活をどのように認識して生きていくのだろう。

それとも、多くの人がスマホを手にしてSNSが身近なものになってまだ数年だから、畑でいえば、まだ土を荒く耕している?ような時期なのだろうか。そのうちこなれていい土になり、インターネットもうまく心に根を張り馴染むとか。

2030年くらいには、どうなっているだろうか。

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