2021-04-13

「被害者達」への愚痴

 インターネットを利用し、自分の考えをどんどんと表に出すことが当たり前になった昨今。どうも世の「被害者達」の言動が過激になっているように見える。無論全てのなにがしかによる「被害者」がそんな人間ばかりではない。だが、過激な言動の人間がおり、その人間たちの共通点を洗い出すと、例えば虐待であるとか、例えばいじめであるとか、その他にもパワハラやらセクハラやら痴漢やらの「被害者達」であるということが多いだけだ。まああくまでもただの愚痴である。下書きもしていない、便所の落書き程度に思ってほしい。

 

 さて、最近のSNS、特に某呟きSNSを眺めてみると、どうにも過激な意見が多い。曰く「虐待なんかする親は同じ目に逢わせて殺せ(子供を産めなくしろ)」「強姦魔は死刑にすべき(性器を切除しろ)」、等々だ。この意見を額面通りに受け取り、素直に言うのであれば、お前ら正気か?という感想しか出てこない。インターネット特有の大袈裟に言う文化(所謂「一生泣いてる」等のあれである)であると願っているが、見ているとどうもそうではない人も見受けられる。

 

 もう一度言わせて頂きたい。お前ら正気か?と。

 

 ただし、まず大前提として言っておきたいのだが私は「被害者」が声を上げること自体を、どうこうと言っているわけではない。犯罪の被害にあったのなら、本人の精神状態その他を鑑みて、出来る限りの声を上げてほしいし、加害者側は現行刑法でしっかりと裁かれてほしいと考えている。ついでに言えば「刑罰が軽すぎる」という考えがあるのなら、それもしっかりと訴えていってほしいと思っている。法はその時代の人々の価値観が反映されるべきものだからだ(無論変わらないものも必要ではあるのだろうが……)。

 だがしかし、過激に厳罰化(というより最早私刑のようなもの)を求める発言は少々いかがなものか、とも思っている。

 

 まず、虐待に関して。これは非常に難しい問題である。子供が悪くない、というのはまあ当たり前である。当たり前である上で、では何故虐待が起こるのか。例えば、今は加害者となってしまった親が虐待サバイバーであった。例えば、ワンオペ育児でどうしても逃げ場がなかった。例えば、単に聞き分けがないので躾のつもりでやった。これらの理由が主に上げられるが、これらに対しての「被害者達」の代表的な言い分はこうである。『そんな状況でも、虐待しない親がいる(虐待しない親の方が多い)』……うん。正論である。全くもって正しい。正しいのだが、だから?である。だから、なんなんだ?それを言って、何がどう解決するんだ?という話だ。「被害者達」はまだ言う。『私は虐待サバイバーだったけど子供に虐待なんかしていない!』……うん。それは素晴らしい。これは心から言わせていただくが、貴方はとても頑張っている。頑張っていないかもしれないが、貧困な語彙で言わせてもらう、貴方は素晴らしい。

 しかし、一度立ち止まって本当に考えてほしい。「それを言ったところでどうなるんだ」と。始めに、「被害者達」。貴方方は今回の「被害者」ではない。感情移入をしてしまったり、フラッシュバックを起こしてしまったりするのであれば、処方されている薬を飲んだり、話を聞いてもらうべきだ。そして、落ち着いて考えてほしい。虐待をするほどに追い詰められている(もしくは精神的に何かを抱えている)人間が、もしもその発言を見たら、どうなるかを。更に言わせてもらうのであれば、多くの親達がどうなのかはさして関係がない。ついでに貴方がどうしているかなんてことも関係ない。重要なのは「今回その痛ましい事件が起こった原因」と「事件は常に全国で起きている」ことだ。根本的な解決をしなければ、被害者は増加の一途を辿る。

 更に、1人の人間が起こした事件が、歴史上本当に類を見ない犯罪であることなど相当稀である。ということは、その事件はまた明日にも起きるかもしれない、ということだ。加害者も被害者も増えるかもしれない、ということだ。「じゃあ虐待をした親を同じ目に遭わせるという刑は正解だ」と思った人もいるかもしれない(いないことを願っているが……)。だが、過ぎた罰は何を産むだろうか。答えは反発と隠蔽である。もしも、虐待をし始めて児童相談所に相談をしようか悩んでいる親がいて、そんな刑が通りそうになっていたら。恐らく、その親は相談なんかせずに子供を隠すだろう。絶対に自分の罪がばれないように、内々に。そんなことが起こっては、救えるものも救えないではないか。

 

 続けてだが、日本の刑法では「永山基準」の概念があり、3人程殺さなければ死刑にはならない。これに関しては私も若干の違和感を覚える。が、「強姦」という罪で死刑、これは是とは言えない。何故なら「強姦して死刑なら、ヤってから埋めて証拠隠滅してもいいじゃん」と考える阿呆が絶対に、確実に!世の中にはいるからである。ではパイプカットないし性器の切除……と言い出す人にはこう言いたい。人権って、しってる?と。被害者が既に人権侵害を受けている。確かにそうである。全面的に正しい。では加害者からも人権を奪ってよいか、そうではない。人権を奪える者など、本来いるべきではないからであるし、実際にいないからである。それをやってしまったからそいつは加害者であり、犯罪者なのだ。

 犯罪者だから人権を奪え!などという言葉は、かつての特別高等警察と同じような言い分だと思ってみてほしい。……思ったことがあって言っているのだろうか。だとしたら私とは違う世界に住んでいる人なのだろう。

 

 

 言いだけの愚痴を書き散らせてもらった。ここまでこの愚痴を読んでくださったことに、とりあえず感謝したい。きっと、ここまで書いたことは「被害者達」だけが言っていることではないのだろう。しかし、最近で言えば「うっせえわ」の騒動でのコメントによくあった『俺は親にこういうの禁止されてたけど』『オタク文化だから叩かれるのであって』というような意見。これらも私は「被害者達」によるものが多いと考えている。明確に言えば、「自分のことを被害者だと思っている人間達」によるものが多い。そもそも人間なんてそんなものなのだろうが……。

 

 

 さて。嫌なら見なければ良い。確かにそうである。インターネットとはそういうものだ。しかし、どんなに自衛しても目に入ってしまうものもある。なにより前々からその目に入ってしまうもの……例えばフィクションの少し奔放な母親に対するコメント……等に腹が立っていたので言わせていただいた。再三言うがこれは下書きもない便所の落書きである。嫌だった人はどうか見なかったことにして、また腹に据えかねた人はまあ適当にコメントやらどこかにぶちまけてほしい。くれぐれも、全く無関係の人を傷つけないようにお願いもしておきたい。

 

 ついでに言うと、この手の文章を書くと必ず言われるのが「お前は被害を受けてないから分からない」「1回被害を受けてみろ」だが、私は虐待サバイバーであり、強姦被害者であり、ついでにいじめの被害者でもある。被害者でもこんな意見を言うことがあるのだ、ということを、どうか心に留めておいてほしい。

 あと、先程挙げたような意見だけは、言われると少し傷つくのでやめてほしい。できれば、でいいが。

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