2020-11-17

ipadもApple pencilも充電が心許ない。両方とも充電ケーブルにつないだ。

充電するまでの間、何か書いて気持ちの整理をしたい。

最近、自分の話を描いている。

偽悪や露悪でもなんでもなく、虚飾を捨てて自分自身の醜さや酷さを描くことで一旦なにかに区切りが着くように思ったので。

嫌悪すべき自分。みたいな表現は、全然うまく行かない。観念的な表現は、どうしたって逃げているように映るし、時系列を無視して描きたいことがドロドロと溢れてくる。なんかいろいろとうまく行かなくてすごく嫌だ。

何を伝えれば、自分を嫌悪するこの感情を正確に伝えることができるんだろう。難しい。

かまって欲しくて、そういう話を描いているわけではないのに、どうしても鈍感で検討違いな優しさを発揮する人間がいる。要するに、SNSでベタベタと背中をさするようなコメントをする人がいる。

批判や人格否定よりも堪える。たぶんそういう人たちは、良いことをしているつもりなんだろう。そういう鈍感さに思いを馳せると、無垢な人への果てしない嫌さが湧いてくる。

描いたものは、どうとでも評されるべきで、花が刺さろうが、槍が刺さろうが、そんなものは社会に委ねるべきに感じている。

だのに差し出される無垢な手を死ぬほど嫌悪している。

飼い犬に、わけのわからん餌を与える通りすがりのお節介さんみたいで、ほんとに嫌だ。いや自分は犬じゃないので、別にそれで健康を害するわけではないんやけど。

...しかし、ただただ病む。

優しさの証明のために自分が利用されることの嫌さを伝えたところで、たぶん理解されないように思う。そして何より、その結果、相手が傷つくのが目に見えている。

それで結局このことは、自分の中に留めておくことにした…けど、ぜんぜん無理ぽかったのでここに記している。

私は、つらつら書ける程度に、そういう無垢な人をすごく軽蔑している。

しかしいつも最終的に、無垢な人を許すことができない、多様性のない自分の狭量を責めることになる。

「どんな奴が生きていても別に良いし、そいつらが何を思い、言うてても別に良い」という自分が描く理想の社会のあり方に一切貢献していない自分を自覚するのはキツい。

キツいので、そっとツイートの返信制限を設け、対象アカウントをミュートにした。

描いたものに対して賛否共にあって良い。ボロカスな意見ほど、真実、自分を映しているときもあるので、そういうものを無視してはいけないと思っている。

だから、どこで何を言われても機能の制限に頼ることはなかったし、批判があればどこに書いていても残らず読むようにしていた。自分が無視されたら嫌なタイプなので。

のに、結果的にそれすらも成し遂げることができなかった。無垢な人のせいで。…いや、無垢な人を許せなかった自分のせいで。

この件を通し、自分が「他を省みない系の無垢で鈍感な優しさが一番堪える」ことを知った。

自分への理解が増えて嬉しいな。と言えるほど楽観的でもないし、わかったところですぐ許せるわけでもない。

ただ、許せないことが増えて嫌だなと思う。

以上。

  • なに書いても所詮はフィクションなんだよなぁ、脳内の内心が一次創作のオリジナルなんだから。。。

  • 基本の性格があまのじゃくなんだね。

  • 発想がひねくれすぎ「優しさの証明のために自分が利用される」というのが信じられない まともな人がしゅういにいなかったのかなぁ。しんどいねぇ。 なんで自分VS敵 みたいな感覚な...

    • それな。アンフェアで歪んだ仕組みの競争社会、極端に自己責任論が増長した社会から生み出された思考。出るべくして出たというか。

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