「告白は少女漫画によって生み出されて、一時的に日本で流行ったに過ぎない」
「告白をしているのは中学生だけ。大人は告白なんてしない」
そういう意見が広まりつつある。
唐突な告白は「告白ハラスメント」などと言われ、この考え方を受け入れる人たちが増えてきている。確かに告白は少女漫画が元になって生み出された、新しい習慣のようだ。おじいさんおばあさんの時代には無かったらしいし、欧米ではプロポーズという概念はあるものの、いわゆる「好きです付き合ってください」は無い。
この匿名投稿サイトで次のような意見を定期的に見る。モテるためには、フェミニズムのような思想は捨てて「黒イケメン」となれ。女性の判断に頼らず、男が、自分が引っ張っていけというわけだ。たしかにそういうのが心地よく感じる人達もいる。あまり意識されないことではあるが、じつは判断はそれ自体疲れるものである。勉強や仕事だけでなく日常生活のありとあらゆる場面に判断がある。バーガーは何にしますか? ポテトはつけますか? ドリンクはどうなさいますか? ホットとアイスが、サイズは? それでしたらお得なセットにできます、クーポン券、お釣りが少なくなるように小銭を選ぶ… 疲れはてて帰ってきたときに、来週のデート先を選びたくない。LINEマンガを読んだらもう寝てしまいたい。もう全ておまかせでよろしく。そういうのはラクではある。おろかな告白で、恋人になるかなどというハードな選択を迫ってはいけない。そういうのは負担が強すぎる。段々と、なんとなく仲が良くなっていけばよい、などという。その人達はべつに相手の選択権を重視しようなどと考えているわけではない。そうしたほうがうまくいくということを知っているのだ。
デートに誘うときに単刀直入に切り出しちゃうのは、良くないこととされている。「遊園地に行かない?」これは受け取った側の負荷が高い。もしハッキリ拒絶すると、”あなたのことがキライです”という意味になってしまう。断りにくい。誰だって悪者にはなりたくない。とりたてて酷いことをしたわけでもない相手に向かって「あなたのことがキライです」とか「貴重な休日をあなたと一緒に過ごしたくない」などとは、決して――決して言ってはいけない。これは日本人に根付いたモラルである。実際の返事は、ごまかすとか、予定があるなどといって先延ばしするか、あるいは単に無視してしまう(よくないことではあるが)、というものになりがちである。だから愚直に持ちかけるな。テクニックを使え。「土曜の午後がいい? それとも日曜の夜なら空いてる?」二択にすることで断りにくくする。共にデートに行くことを当然の前提にしてしまう。こうした提案はモラルを考えてマシなものと捉えてしまわれがちだが、しかしそうではない。この種の判断をオレは疑似選択とよんでいる。
犯罪の8割を男性がやっていて、性犯罪のほぼすべてを男性がやっているという現状がある。「支配欲」という欲求。この欲求を原動力として痴漢や性犯罪が行われている。しかし、ただ男性だからという理由で彼を犯罪者扱いしてはならない。男性の多くは性欲を持っているが、支配欲を持っている男性は彼らのごく一部だから。だから性犯罪者予備軍扱いはやめろ。これが昨今よく見る主張だ。しかしオレは――こういうふうに考えているのはオレだけかもしれないが――支配欲は実はすべての人間が多かれ少なかれ持っているのではないかと思っている。たとえ女性でも男を支配してやろう、などということは考えてしまいうるし、実際に実行してしまう。「大人は告白なんてしない」という言う人達は、十分に仲良くなってから気持ちを告げよという。引き返せなくなったところで言質を取るわけだ。
一方、SEXをしたいときには、SEXしない? と明確に口頭で尋ねるべきだという考え方がよく言われるようになった。これは善いものである。「いいからw いいからw」などと強引に迫り、あとでそういうノリだったなどと言い訳することが横行していた。実際には、これが強制性交として表面化しているのは氷山の一角だろう。多くの女性が泣き寝入りしている。もっと多くの女性が「あれは仕方なかったんだ」とか「わたしにも悪いところがあった」などと自分に言い聞かせる。(本当は)怖い相手と争いたくない、という恐怖が正常な思考を捻じ曲げる。相手を目的の方向に追い込む誘いの言葉は、恋愛のあらゆるシーンで見られる。好きなものは何?――それなら美味しいお店知ってるけど。遊びに行くのはどっちの日がいい? ちょっと飲みすぎてるみたいにみえるけど、泊まっていく? ベルトコンベアー式にすべてが進んでいく。外国のある教会はその床が入り口から下り坂になるように、わざと傾斜させているという。気づかないくらいごくかすかに。そうすることで訪れた信者候補が「自然と」前にすすんでしまうように。信者はそれが自分の意志だったのだとか、運命だったなどと錯覚する。相手をコントロールするためのテクニック。Yesセット、フットインザドア。おびただしい数の人間を誘導する手法がある。ログインボーナスを与え、ガチャを引かせ、たまにSSRを引かせる。あなた達のやっていることは「懐柔」だ。
SEXを提案するのと同じ論理で、告白もよい、と思うんです。イキナリ告白しちゃう人・ストレートにどこどこ行かない、などと言っちゃう人は、拙いだとか賢明でないとか言われてきた。でもすくなくともそこにコントロールしようとする意思がないことは気に留めておくべきだ。たしかにかつての少女たちはマンガの世界観を、疑うことなく鵜呑みにして現実と一緒くたにしてしまったフシはあるだろう。我々はこれを再評価する時期に来たのだと思う。告白はハラスメントではない、として受け入れ直すこともできるはずだ。あなたはどう思う? オレは告白は日本の漫画が生み出した発明なのだと考えている。告白は善き文化だと。告白の善いところは、また相手が自分に対してニュートラルな精神状態にあるときに判断してもらえるということだ。一切の既成事実がなく、なんの負い目もない。人間の精神は簡単に「ノリ」に流される。だから自由な判断が可能なときに、選択してもらう。それが相手の選択権を尊重することだとオレは思う。それが誠実さだと考えている。支配欲求を自覚的に抑えて、相手を尊重する。
しかし「告白派」のオレには友人がいる。彼は「懐柔派」だ。いわく、彼女の幸せを自分がもたらせばいいんだと。それに全面的な責任を負っていけばいい。判断に疲れるこの世界で、おまかせの幸福を提供する覚悟。それも一理あるんだよな。
そもそも告白することって、あなたとセックスしたいんですさせてくださいっていうのの隠喩であってハレンチ極まりない行為 よくもまあアダムの林檎を食べたあとにそんな恥ずかしい...
いいからいいからでセックスした後に、責任とりゃいいんだよ。 哺乳類のメスはいつだって自分と我が子を養う優秀なオスを探してる。
探してないぞ
つい最近、女性がおカネ持ってない(持てない)から、そういう連中を求めるんだ、って意見があったけど、それだけではないという点では同じ考えだが… 黒イケメン勢どもめ…
「告白」と言う言葉は「何の関係もない赤の他人相手にいきなり『好きです付き合ってください』と言う行為」ではないし そういうシチュエーションで「告白」が出て来るのは少女漫画...
告白の要件に、「普段から関わりがあってある程度親密であること」が含まれるとは思わないけど。 漫画内での告白のイメージには異論ない。少年マンガのそれはスパイスに過ぎない...