いきなり「0にする」とか「どんなコストでも」とか極論出されても。
貧困に根ざした問題を考える上で、「その問題を解決できないほど恵まれていない人は例外的な馬鹿だから知らん」という論が、いったい何の意味を持つのだろうか。
「問題Aが発生した時に割合Bで解決できない人がいる」――って状況で割合Bを0にするためにはどんなコストでもかけるべきかというと違うでしょ。リソースは無限じゃないってだ...
いきなり「0にする」とか「どんなコストでも」とか極論出されても。
貧困問題じゃなくて、子育ての問題じゃないのか?