じゃ、
作品や活動に対する好き嫌いはどっちも感想だから、そこに上下も優劣も無い。
「こいつを支持する奴はバカだ」とか「これが解らない奴はダメだ」とか言うな。
上下や優劣が無いのは内心に留めている間までだ。
他人の目に触れた時点で「こいつを支持する奴はバカだ」とか「これが解らない奴はダメだ」と言われるのは仕方がない。
他人の所作に感想を述べた当の本人が、他人にはそれを許さないなど、ただの我が侭だろう。
こういう事な。
「俺にとっては同じ」と言い切られれば違うと思っても元増田はそうなんだから
どうしようもないとは思うけど、
「作品・活動=作者(意見者)自身」
っていう発想はどうしてなの?
軽い例えで言うと
「てめぇアホか死ね」って事だろ?
で、「バナナ嫌いはアホとか言う奴最低。死ね」って言いあうんだろ?そこが同じだと。
なんでバナナその物の好き/嫌いの理由についてだけでシンプルに議論できないんだよ、って思うけど。
そのうち「死ねとか失礼だと思います。人権侵害です!」とか「バナナ好きに悪い人はいません!」ってバナナそのものの是非から遠く離れちまうだろ。
なんでそこを一緒にしちゃうの?
作品や活動に対する好き嫌いはどっちも感想だから、そこに上下も優劣も無い。 「こいつを支持する奴はバカだ」とか「これが解らない奴はダメだ」とか言うな。 上下や優劣が無い...
「こいつを支持する奴はバカだ」とか「これが解らない奴はダメだ」とか言うな。 →批判対象は意見・感想を言っている/思っている人間 他人の目に触れた時点で「こいつの意見は...
全く違うだろ。 どうなってんだ。 俺にとっては同じだけど、君にとって違うのなら後半は前半の繰り返しでいいよ。 (「君がした事はバカなことだ」って言うのと「君はバカだ」って...
じゃ、 作品や活動に対する好き嫌いはどっちも感想だから、そこに上下も優劣も無い。 「こいつを支持する奴はバカだ」とか「これが解らない奴はダメだ」とか言うな。 上下...