2010-11-30

窓拭きしていて考えたこと

からりと晴れたとある日、だいぶサボっていて気になっていた自宅の窓まわりを掃除することにした。ひと部屋ごとに、ガラスの内側を拭いたら外側を拭く。そんなことを繰り返していてガラスの半分近くを拭き終わった頃、あっと気付いたことがあった。

内側が終わって外側の作業に入り外側が綺麗になるにつれて、しっかり拭いたと思っていた内側の拭き残しをたびたび発見したのだ。そんなふとした出来事が心に留まってしまい、残りの窓拭きをしながらも頭の中はそのことばかり考えていた。

ガラスの内と外。年に一度くらいし掃除しないから、外は当然、土埃や排気ガスでけっこう汚れてる。でもいざ外側を綺麗にしてみると、あれれ?そう汚れてないと思っていた内側も案外と綺麗じゃない。これはどういうことなんだろう。ちょっとスピ的な言い方をすれば、どんな気付きをくれたのだろうと。

数日ぼんやり考えていて、私の考えられたことは下の3つだった。

  1. 自分の行動や考えが、正しいとかそれなりに適切とか思っていることが、実は至っていないこともある。それは環境や視点(外側を拭くという、自分の直接的な利害から少し離れた行為?)を変えないと気付きにくい。
  2. 内側、つまり自分自身ばかりに気をとられていると、(窓が外側からだけでなく内側からも汚れていき景色が見え辛くなってくるように)いつの間にか自分の思い込みの頑固?な殻に閉じこもってしまう。
  3. (窓の外側も内側もつまり)自分を取り巻く大きな環境宇宙?)を含めたすべてが自分なのである

・・・こんな感じなんだろうか。修行(特にこれといった宗教に関わっているわけではないのだが)不足で言葉の足らない私になにか補足あったらください。

  • 時空という断絶を超えて繋がっていくところの、線たる存在 http://anond.hatelabo.jp/20101130105303 の「窓拭きしていて考えたこと」の増田です。 なんだか、参考になりました。 ありがとう。

    •  参考になったならこちらとしても幸いです  ただ、一つだけアドバイスをするとすれば『全てが自分』という発想を回避するべきだとは思う 「私たちの存在は、恐らく肉体を初めとし...

      • たびたびありがとう。 「自分」と身振りするとき手のひらを胸のあたりに当てる。 考えたり行動を命令するのは脳つまり頭なのに、胸のあたりを。 そんなことを思い出しました。

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