漫画やアニメやゲームは娯楽ではなく、本当に、これ以上なく、逃避先ってことなんだよな。
登場人物に自分を投影して、無能である(と自分自身本当は感じている)自分や、そういった評価をする他者を忘れるための。
幼稚だとか未熟だと言われるのがまさしくなんだろう。
「漫画やアニメやゲームという趣味を持つから幼稚で未熟」というのは必ずしも当てはまらないというのは正しいけれど、殆どの場合、実際自分が「幼稚で未熟だから漫画やアニメやゲームという趣味に傾倒している」のだということを認めたがらない。
というよりも自分の年齢的に自己が確立できていないなんて思ってもみないんだと思う。
人に認められる(例えば恋人ができる、とかでもいい)といった経験が思春期以降ないから、自己の確立が中途半端なんだろう。
人に(最悪、人として)認められず、人を通しての自分の姿しか自分自身見えてなくて、それが原因の言動でまた人からの評価が下がる悪循環。
結果、ある種の全能感を得られる漫画やアニメやゲームに逃避する。
だから思春期から成年に至るまでに通り過ぎてしまうはずのものが、未だに続いている。
勿論当て嵌まらないヲタもいる。
それも踏まえると大体、大きく分けて3つ。
1.生み出すヲタ
何らかの活動を行なっていて、それが他者に認知されている(評価を得ている)タイプ。
発信するものは大抵創作物で、絵や文章や音楽やプログラムなど、多岐に渡る。
活動の中で人と関わり、自己を確立させて逃避ヲタを卒業する人間がいるグループ。
大体2.にシフトする。
しかし、ここで自己の確立に失敗し留年(浪人?)した人間は創作することで得られる評価と今の自分の位置に依存する(もしくは過去の自分の唯一の栄光に縋る)
2.生み出す必要がないヲタ
人間関係の確立や、それを通しての自己の確立は済んでおり、逃避目的ではなく、あくまで娯楽であるタイプ。
ライトオタ、にわかと呼ばれ、リア充とされることも多く、3.のグループに所属するヲタから見下される場面がよく見られるが、現実における周囲からの印象は逆であるケースが多いと思われる。
過去、1.のグループに所属し、何らかのきっかけで衝動的に生産活動を再開する場合もあるが、それも1.のグループに所属した頃と違って逃避ではなくあくまで娯楽、もしくは経済的な必要に駆られてという理由に集約される。
3.消費するだけのヲタ
逃避することしかできない。しようとしない。
1.の生み出すヲタになる願望は大多数が持っていると思われる。
しかし、逃避するために行なう「生み出す」活動の過程において、最低限の認知がされるまでに突きつけられる現実(無能、才能なしといった言葉や人との差)を恐れ、それからすら逃避していたり、実際に突きつけられて心が折れた結果、このグループにとどまっている。
ごく稀に、達観して自己の確立が完了してしまう者もいなくはないが、人間関係の構築は不得手なままであるため、第三者の視点からすれば逃避ヲタを卒業したと認識されるのではなく、名誉職を与えられるに過ぎない。
ヲタ分類、ヲタ論なんて今更ではあるけど、自分の中でまとまったので。
何か補足とか違う捉え方があれば教えて。
キモオタを必死に見下しながらも長文まとめするほど考察せずには居られないあたりにお前の自我の問題があると思う。
おい、見事にブーメランだぞ ついでに言えば、そうやって「必死だな」って理屈ぬきでしてる脊髄反射が毎度この手の書いてある内容を補強してることにもいい加減気づけ 自己が確立し...
ちょっとツッコミ受けたら「キモオタが俺を馬鹿にした!クキー!」になるあたりでもう色々と… どんだけ頭がキモオタで一杯なんだっていう…
俺、元増田だけど、別の人と俺を勘違いしてない? この俺すら、本当に元増田かどうかって保証はないけどね。
おみゃーさん、自意識過剰に過ぎるんじゃないか。 そんなに、自分の存在意義について不安かね? 肯定されることでしか安心できないかね? 褒められないと満足できないかね?
「オタクは自己が確立できてない幼稚の集まりに違いない!」ってオタクにウンコ無差別投下してるのはそっちだろw
事実だろ、諦めろ 投げられたうんこ投げ返すんじゃなく掃除できるかどうかが分かれ目なんだよ
ウンコ投げられてもにこやかに掃除出来るような自己を確立するくらいなら幼稚で良いや
オタキングは「自分はオタクである」という前提で、歴史などを踏まえた上でそれらの解説をちゃんとこなしていたよ。 さて、お前は?
1や2や「達観したオタ」がかなり多く存在している(「極めて少数の例外」ではない)時点で論拠が崩れている。 そうした精神分析系オタ論に思考が支配されるのは、ある種のオタク...