2010-10-03

気持ち悪い性被害者

ついでだから書いておこうかな。

歌詞に込めた思いを過去自分と同じように苦しんでいる人に届けるため、山本さんはステージから歌いかける。

山本さんは6年前の夏、性的被害に遭った。車に突然乗り込んできた男に暴行され、「殺すぞ」と殴られ、恐怖と絶望で抵抗できなかった。

心身の苦痛に加え、つらさを受け止めてほしかった相手に「前を向いていかなきゃ」と言われたことで孤独感にも苦しんだ。

震えて泣いている導入部分から、「あの日の傷跡が 強さに変わる」と、前向きな気持ちに立ち上がっていく内容に、曲を聞いた被害者から多くのメールなどが寄せられている。

http://news4vip.livedoor.biz/archives/51622156.html

これ、率直な感想は「この被害者気持ち悪いな」だった。「前を向いていかなきゃ」を拒絶しておいて、結局やったのは「前向きに頑張る曲」の制作とは。

6年かけてたどり着いた結論に近いのだ、「前を向いていかなきゃ」もその人が真面目に考えた結果の答えだろう。深く考えもせず言っているとは思えない。なにせ本人も「つらさを受け止めてほしかった相手」というのだけあって、それなりに信用の置ける人物なのだろうから。それを拒絶って、どういうことなのか。親身になって言葉を発した人間をなぜ踏みにじるのか。

当時は被害にあった直後でそう思ってしまったが、6年経ったら落ち着いた。今は違うから曲で同じことをいっている―というのだろうか。ならば今「『前を向いていかなきゃ』と言われたことで孤独感にも苦しんだ」という必要は何もない。対処ではなく○○が欲しかったのだ、というにしても、それなら「○○が無かったので苦しんだ」というべきであって、「『前を向いていかなきゃ』と言われたことで」と語る意味は何もないだろう。

「前を向いていかなきゃ」といった方にしてみれば、当時の拒絶も心に痛かったはずだ。かれがしたいのは被害者を手助けすることであり、いったことが間違っていないことでも、それが結果的に被害者に通じなければ意味はない。力及ばず、手助けが成功しなかった経験は心の傷になっただろう。それを、間違ったことをいったから責められても仕方ない、ということでもないのに、6年経った今、報道でまた語られる。かれは、被害者からの非難にまた心を痛めるだろう。なぜ被害者は何度もかれを傷つけるのか。これは「セカンドレイプ」ではないのか。

人にいわれても駄目だ、自分の力で気づくのが大事なのだ、としても、では他人に向けて「前向きな気持ちに立ち上がっていく内容」の曲をお前が歌いかけるのは何だ、という話になる。

被害者は守られるべきだ、というのはその通りだろう。しかしそれは「被害者は何をしても免責される」ということとは違うのではないか。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん