私の大学の試験でもカンニングは多かった。大体の人がやっていたのではないか。(某国立大理系)
そして私にとってのカンニングの問題点は、カンニングをしていない人が不利になることだった。
例えば、教授は試験を採点し、上位20%にAを、下位20%に落第をつけたりする。
そして例えば教科書の指定部分をどれだけ暗記できているかを問うようなテストにおいて、80%の人間がカンニングを行っている場合、カンニングをしていない20%の学生は著しく不利になる。カンニングをしている人の点数を基準とした評価になってしまうためだ。
よってよほど地力とモラルの高い学生以外は、カンニングをするか落第するかの二択を迫られる。
私自身は不正を行うことはなかったが、しかしカンニングをしていた人達を責める気持ちもあまりない。彼らはそうすることを強く要求される状況にあったのだ。
そもそもの問題は、カンニング可能な試験問題を作成し、カンニングが簡単に出来る状況で試験を行っていることだ。
学生のモラルに期待しているという弁もあろうが、そもそもそういった道徳が大切であることを理解させる教育を充分に行わずして、ただモラルに期待するというだけでは、必要な監督責任の放棄、職務怠慢でしかない。
モラルの教育とは、単に不正は良くないと口で述べることではない。不正をしたものが得をし、公正を貫いた者が損をするような環境を繰り返し学生に与えていれば、それはモラルの教育をしていないということである。
よって、試験においては可能であればカンニングが不可能であるような問題を作成し、そうでなければカンニングが不可能であるような環境で試験を行うことが最低限必要である。カンニングが容易な試験を実施し、採点だけをしっかり行っても何の意味も無い。そしてもし教師に充分な力量があるのならば、そもそも学生がカンニングをしようと思わなくなるような、真の教育も可能になるかもしれない。
カンニングをしないなどという基本的な事柄は高校までに全員が習得しているべきものであり、大学ではそのようなことは行わない。仮に大部分の学生がカンニングを行うようであれば学生全部を取り替えるべきだなどと現実離れしたことを言って、現に今大勢の学生がカンニングをしているという事実に正面から向き合うことを避けているようでは、何事も改善はされないであろう。