2010-08-03

賛同する面もあるけれども

○2の場合

賛同する面もあるけれども、実は自分が「命の危機に陥っている多数のグループ」に属する確率ってのもあるから事態は複雑。

何も条件がなければ

命の危機に陥っている「多数のグループ」に属する確率>生贄にされる「たまたま居合わせた少数者」に属する確率

となるわけだから、危機的状況では生贄を認めた方が、自分の命を落とすリスクは下がるという議論が成立する。

リスクで議論すると逆用される危険があるよ、その議論。

http://anond.hatelabo.jp/20100803040354

記事への反応 -
  • 「大勢の命を救うために少数の命を犠牲にする」について、当然のようにYESと答える人がいる。 まあ、この言葉自体からは2つの事例が想像できる。 ①少数と多数の2つのグループが危...

    • ○2の場合: 賛同する面もあるけれども、実は自分が「命の危機に陥っている多数のグループ」に属する確率ってのもあるから事態は複雑。 何も条件がなければ 命の危機に陥っている...

    • 自分が少数に入ってしまった場合の懸念が中心になってるけど、自分が多数に入ってしまったときについては? 多数に入るリスクのほうがでかいと思うのだけど

    • なんで? 自分が生贄になるリスクはないぞ? 社会主義者や、共産主義者や、ユダヤ人や、障害者や、同性愛者や、ロリコンを生贄にすればいいだけじゃん。 その程度の立ち回りもでき...

    • ダブスタが通じることを当然の前提にしているコメントばかりで吹いたw

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