いささか語弊はありますが、差別を問題にするのがリベラル、格差を問題をするのがソーシャルといえば分かりますか。
赤木さんはリベラルじゃ自分が救われないと気づいたので、実はソーシャルにシフトしたにもかかわらず、それを脱「サヨク」と自己認識してしまったのですよ。
そこに、反戦平和という特殊日本的サヨク思想が絡まるから話がますますややこしくなる。
ごりごりのソーシャル左翼にとっては、戦争は社会主義への最短コースですから本来大変歓迎なのです。
その意味でも、赤木さんが「希望は戦争」というのはソーシャルの王道なのですよ。
ところが、戦後日本的反戦平和いのちのリベサヨさんにとっては、「希望は戦争」というソーシャルな発言が一番けしからんという倒錯した反応になってしまうんですね。これも、話をこんがらからせる一つの要因です。