2010-05-28

"thinker(アーマードコアED)"に対する考察

 結局のところ、この歌詞は自我と他者の存在を巡るストーリーを表しているのではないだろうか。


 自我と他者というこの二つの対立は、海と外、という形で明確に描かれている。

 しかし、その『海と外』のどちらが自我で、どちらが他者を指すのかということは、限定されていないようだ、というのも、歌詞の前半と後半で『海と外』の指す対象が入れ替わっているのである。

 前半では自我の立場から"you"に対して「Can you talk about deep-sea with me?」と持ちかけている文脈があるのに対し、後半では「The deep-sea fish loves you forever.」と暗に自分自我)が魚(海)の立場にあることを語っている文脈が存在する。

 このことから言えるのは、自我と他者のどちらが"The deep-sea fish(海の立場にあるもの)"で"someone(海の外の立場にあるもの)"なのかが、常に入れ替わる可能性を持っているということだ。

 つまり、我々は時に"The deep-sea fish"であることもあり、また"someone"に成り得ることもあるということだろう。


 以上のことを踏まえて言うと、この歌詞は哲学上の他者存在を巡る議論を題材に書かれた可能性が高い。

 つまり、自我と絶対者の関係を巡る哲学上の議論が、この歌詞の題材になっている可能性が高いということだ。

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