結局のところ、この歌詞は自我と他者の存在を巡るストーリーを表しているのではないだろうか。
自我と他者というこの二つの対立は、海と外、という形で明確に描かれている。
しかし、その『海と外』のどちらが自我で、どちらが他者を指すのかということは、限定されていないようだ、というのも、歌詞の前半と後半で『海と外』の指す対象が入れ替わっているのである。
前半では自我の立場から"you"に対して「Can you talk about deep-sea with me?」と持ちかけている文脈があるのに対し、後半では「The deep-sea fish loves you forever.」と暗に自分(自我)が魚(海)の立場にあることを語っている文脈が存在する。
このことから言えるのは、自我と他者のどちらが"The deep-sea fish(海の立場にあるもの)"で"someone(海の外の立場にあるもの)"なのかが、常に入れ替わる可能性を持っているということだ。
つまり、我々は時に"The deep-sea fish"であることもあり、また"someone"に成り得ることもあるということだろう。