うーん?
今、私は日本にいるが、今ちょうどブラジルにいる私を、もう一人の私と命名しよう。
果たして、もう一人の私は存在するだろうか?いないだろうね。
今、あなたが日本にいて、ちょうどブラジルにいるもう一人のあなたを、「もう一人のあなた」と命名する。
しかし、私はあなたがどちらにいるかはまだ知り得ない。すなわち、可能性として「もう一人のあなた」は存在しなければならない。
これが、存在し得ないならば、私は推量することなくあなたの居場所をたちどころに特定し、あなたを明日中には食ってしまうこともできるはずだ。
内省の問題として、今私が日本にいて、同じく今ちょうどブラジルに居る私を、「もう一人の私」と命名する。
では、もう一人の私は存在するだろうか?という問に、私は答えることはできない。
なぜなら、私は私自身を知覚できるが、もう一人の私に対しての知覚は持ち合わせていない。
いつどこからかひょっこりともう一人の私が出てきて、合体してしまうかもしれない。
私がここにいる、ということは、私は一人しかいない、自分自身で完結している、という答えには成り得ない。
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