コミュニケーションが能力とされるところまできたってことは、もう人間同士で助け合うって無理があるってことじゃないのか。
よくある構図としては、自然を大事にしようってのがあるでしょ。自然を大事にしよう、っていうのは自然が大事にされていた時代には出てこない考え方なんだよね。
そんなことわざわざ言う必要ないし。今、地域の関わり合いを大事にしようって言われ始めてるけど、地域の関わり合いが普通だったらこんな発想出てこなかった。
コミュニケーション能力ってよくわかんない概念もそうでしょ。
俺はコミュ力0だと思うけど、そもそも人がコミュニケーションとるってことさえも当たり前ではなくなったってこと。
電話やメールが普及して、対面でコミュニケーションするのが煩わしくなったってことだから、やや斜めな考え方をすれば「対面って気楽に出来ないから嫌」って人間が思うようになったってこと。
機械が発達したのって仕事を減らすためだったはずなんだけど、実はそれだけじゃなく、人間同士の関わり合いも減らすことになったんだよね、結果的に。
で、それを人間が望んだってことはどういうことかっていえば、「人間ってホントは人間とは関わるの嫌」ってことなんじゃないだろうか。
っていうと、そんなはずはないって絶対反論する人いるけど、確かに人間同士でコミュニケーションすることで気持ちよくなれることがある。
それがどういう時かって考えると、利害が一致しているときなんだよね。つまりお互いがお互いを都合のいい存在だと認め合ってる時。
日本ではこの関係、つまりは敵対しないということがかなり重要視されてきたけど、敵対しないっていうのは自分と相手に負担を強いることになるんだよ。何かしら。
だって、全ての面で全く同じ意見を持った人間と言うのは普通ありえないわけだから、どうしても妥協せざるを得ない部分が出てくる。
現代は、その妥協できる部分が極めて少なくなった。今まではみんながほぼ似たような考えで生きていたのが、個性とか個人が重要視され始めると途端に対立が目立ち始めた。
対面でのコミュニケーションってものすごく労力を伴うから、もうみんな都合の良いものとしかコミュニケーションしたくなくなってるんじゃないかなぁ。
コンビニで何か買おうと思った時、店員がたまたま気分が悪かったりして商品を粗雑に扱われるとイラっとするでしょ。その点、機械はいつでもどこでも丁寧で完璧な対応をしてくれる。人間とコミュニケーションするよりよっぽど楽だ。
そんなら、都合の良いときだけコミュニケーションすればいいじゃん。 お互い気分悪くなるような時には、コミュニケーションしなきゃいい。 それでも経済的なやりとりが可能なくらい...