2010-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20100424015410

趣味は何?」

この問いだけならば、ただのコミュニケーションの一環といえるものだろう。

取り立てて問題にするほどでもない。

仕事だけの人生じゃ駄目だ。」

これは医学的、疫学的に厳密に調査されたことではないが、多くの人の経験則だ。

多くの人は定年を迎えることで、強制的に仕事をやめさせられる。

その時、あなたには何が残るか?

「○○が趣味なの?そんなんじゃ駄目だ。△△をやりなさい。」

○○に入る事柄が反社会的なものでない限り、この発言は確かに不快である。

一つは他人の嗜好を否定している点。

もう一つは、発言者の嗜好を強要している点である。

このような自分勝手な言論は非難されても仕方がないだろう。

だが、その非難の言葉に「趣味教」という造語を用いるのは適切でない。

趣味」という言葉の持つ意味は広く、趣味をもつ人の大部分は上のような身勝手な発言はしない。

にもかかわらず、「趣味教」という言葉はそのような人たちまで十把一絡げにしてしまい、必要のない軋轢を生む。

また、中立もしくは有益である上二つの言論にまで

趣味教」などというレッテルを張ってしまっては、まともなコミュニケーションが成り立たなくなる。

日常生活の中で、元増田はこれらの言葉をかけられ腹が立ったのであろうが、言葉には気をつけるべきだ。

さもなければ、

・・・ウザいんですけど。

何様?

と言われるのは元増田自身である。

記事への反応 -
  • 「趣味は何?」 「仕事だけの人生じゃ駄目だ。」 「○○が趣味なの?そんなんじゃ駄目だ。△△をやりなさい。」 ・・・ウザいんですけど。 何様?

    • 「趣味は何?」 この問いだけならば、ただのコミュニケーションの一環といえるものだろう。 取り立てて問題にするほどでもない。 「仕事だけの人生じゃ駄目だ。」 これは医学...

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