気になる人がいる。
聡明で丁寧で親切でさりげない心づかいができる人だ。
しゃべるのが好きで、知っていることをいろいろと教えてくれる。いつまでも聞いていたいと思うほど、それらは面白い。話の途中でわからないことを尋ねれば、それについても丁寧にわかるようにユーモアを交えて話してくれる。
正直なところ、認めたくないが、外見はあまりよろしいとは言えない。顔自体はよく見ればそれなりに整っている(幾何学的な意味で)と思うし、表情も豊かなのでかわいらしくすらあるが、外見に関してはあまり構わない人のようだ。年齢的に多少おなかが出ているのは仕方がないにしても、色使いのセンス自体は悪くないのに…と何度かショックを受けている。でも話をしていると忘れてしまう。
もうすぐ四十路に届こうかという年齢にも少し引っ掛かる。自分とは一回り以上歳が離れている。でも、話をしているとそんなことは忘れている。
好きかと問われればたぶん好きなんだろう。でも、そのあとに「でも…」と付け足してしまう自分がいる。
でも、とそこでたたらを踏むのは、自分の問題だ。相手の年齢を気にしているのは自分の問題だ。わかっている。
相手に父性を期待し、そこに父親像を求めているのではないかという疑いに足踏みしている。好きだとまっすぐに言えない。相手が好きなのではなく、そのあたたかい手に庇護されたいという欲望が、好きだという気持ちにすり変わっているだけではないのかと自分を疑う。そういう自分を嫌悪する。
父親は今も健在だし、過去に何かトラブルがあったわけではない。ただ、いつも仕事でいなかっただけだ。そのこと自体はしようがないと思ってきたし、いる時はそれなりに優しい父親だったのに自分は何が不満だったのだろう。なぜいまだに父性を求めてやまないのだろう。理想の父親なんているわけがないってわかっているのに、なぜ。
相手の欠点が目につくのは、それにたまにショックを受けるのは、この年になっても恋に恋をしている状態だからなのだろうか。そういうことばかりぐるぐると考えている。