このどこまでもずうずうしく貪欲な老人共を何とかできない限り、
理論的可能性など関係ありません。政治的には絶対に導入できない。実現可能性はゼロです。
どこまでもずうずうしく貪欲な老人共を何とかすればいいってだけの話じゃないのかな。
格差社会というのは、利権を持つ層がどんどん減っていくし、日本は一応民主主義国家の体をなしているわけだから、その利権を崩せる可能性は全然あるんじゃなかろうか。
そこで何が必要かというと、合理的な選択ができる材料を揃えることだろうね。
啓蒙というと上から目線だけど、草の根から議論を尽くし、広めて行くことに大いに意味があるでしょう。
現実的に考えて、部分的段階的な導入をする方法を考えるのはもちろん必要だけれども、理想型を認識することはもっと大事だよ。
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