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自衛隊がなかなか現場につけなかった原因はいろいろあります。このうち「派遣要請が遅れたから、自衛隊が遅くなったのだ」という一部だけがずいぶん注目され、喧伝されたように感じられます。確かにそれは問題でした。1986年の三原山噴火の際に中曽根内閣がやった迅速な指揮などと比べると、当時の制度でもやろうと思えばすばやい対処ができたことは明らかです。だから指導者に問題があったことは事実なのですが、しかしそういった個人的な資質だけが悪かったのではありません。
渋滞を規制する権限があたえられていなかったこと、事前の県・警察・消防との打ち合わせができていなかったことなどは、個人の問題で片付けることができません。緊急事態が起こる前に、自衛隊を含めて対処を考えておく、そのために必要な権限は与えておく、という備えが不足していました。
そうなってしまった遠因は、日ごろの防災訓練にも自衛隊を呼ばないことに象徴される、自衛隊への、ひいては有事全般へのアレルギーです。元外交官の岡本行夫氏はこう述べています。
私も、地方自治体と色々折衝した経験がありますけど、そのとき感じたのは「緊急事態ということを考えること自体が反平和である。ましてや米軍だとか自衛隊だとかいう実力部隊が関わってきたら、途端にそれが反動的軍国主義になる」という自治体側の認識です。
これは、下の行政単位にいけばいくほどその感覚が強いですね。……住民に一番聞こえのいいように、おどろおどろしいことは一切やらない。したがって、緊急事態の研究など、けんもほろろの応対をされてきたわけです。(セキュリタリアン 95年3月 p7)