優しさについて。
個人的に『優しくする人間』よりも『優しい人間』の方が素敵だと思う。
もちろん、二者は両立する概念である。前者は主観的な、後者は客観的な立場の見方であって、同一人物上に現れた優しさはまず間違いなく相違ない。
ただ、それでも私は、主観的に『優しい人間』であることを認識してみたい。そう思える人間になってみたい。主観と客観の境界を取っ払ってしまいたい。
私は現状の私を私から離れた形で認識したい。
けれども甚だ無理そうだから、とても苦しくなる。
私であることを止められたら良いけれど、仮にそれが成功したとしても、結局私を止めた私を観測するのは同一の私でしかないので悲しくなる。
どうすればいいんだろう。どうすれば私は私を正確な客観性を持って観測できるのだろう。やっぱり不可能なのだろうか。そうなんだろうな。
私という“感”の正体について。
わからないことばかりで辛くなる。
http://anond.hatelabo.jp/20100208234828 貴方には笑顔が足りないよ。笑顔は人を優しくさせるんだ。優しくさせる人は優しい人だよ。