http://anond.hatelabo.jp/20100122214632
否定になってねーよ。
一回でもでたらお終いという思考が謎。過去の発言を検証できるかできないかの違いは大きいだろう。「検証無しでペースト」現象が発生する確率に差が出ると考える方が自然じゃないか?
あほか。一人そういうやつが出れば、そいつは「捻じ曲げ元」ではないそこそこまともなやつだったりするわけで、そいつを信用する別のまともなやつが孫コピペする可能性が出てくる。つまりは嘘拡散の始まりだ。“否定になってねーよ。”
「過去の発言を検証」は「できるかできないのか」ではなく「実際にされているのかされていないのか、実際にするのかしないのか」だとすでに言っている。“否定になってねーよ。”
発生確率に関しては私も言っていなければRRDも言っていない。確率の高低があっても(んなもんあるには決まっている)、私への反論、RRDの擁護になりはしない。“否定になってねーよ。”
結局「今はマシ」なのは正しいんじゃんw
あほか。「なんにしても『今は』まだマシだ、というなら…」というのは、「もし言うとしても」という「仮定」のうえで(なぜならRRDは直接そうは主張していない)それでもその「マシさ」がなんらサービス・サービス利用者の優秀性に基づいていない、単なる時期問題に過ぎないという先回りの批判なのだ。この場合「今はマシ」にすら意味などない、ということなのである。それが正しくて、だからどうだと思っているのだろう。“否定になってねーよ。”
だから嘘拡販が1件でも発生したらお終いだっていう発想が謎なんだよw 発生件数の多さで比べるのが普通だろうがw 「過去の発言を検証」は「できるかできないのか」ではなく「実...