だから違うって。
ダメではないが世界新記録を目指さないというスタンスは「無い」。
たとえば陸上競技において「早いほうが良い」という価値基準があった場合、何の制約もなければ最速を目指すのが順当だろう。
逆に言えば最速を目指さないとすれば、それは「早いほうが良い」という価値基準以外の何かが働いているからだ。
こちらがいってるのは、競技が行われた後の表彰などの段階での話。
存在している。が、要素が複数重なっているために単純にひとつの要素だけを最大化することができなくなっているだけだ。
なら、永住外国人地方参政権も、重国籍容認も同様じゃないのか。
何故、国益だけその最大化が求められることになるんよ。
コンセンサスがとれてないと、なんで不可能であるというニュアンスが必要となるの?
飛躍じゃないのか?
会社からあなたの年収を1万から1000万の間で自由に決めていいですよ、と言われて1000万を選ぶことが順当であることが理解できなかったら、俺には説明のしようがないかもしれない。
その例は不適切だろう。
それだと、「参政権がまったくないのと、地方までの選挙権、さらにその被選挙権、国政…との間で自由に決めていいですよ」ってなるんじゃないの。
権利の付与に対する要件がそもそもの論点のはず。
そうすると、経営者が従業員に対し、「賞与など基本給以外は最優秀者のみに支給する」といってるようなもんじゃないの。
成果を国益に置き換えたら。
なら、永住外国人地方参政権も、重国籍容認も同様じゃないのか。 人権が絡んでるし、国際協調という要素もある。 何故、国益だけその最大化が求められることになるんよ。 それら...
それは選手のレベルの話。 こちらがいってるのは、競技が行われた後の表彰などの段階での話。 えー 意味がわかんないよー 表彰などの段階ではどこへ向かうのか意志を働かせる要...
国益の最大化は、どうやったらそのように評価できるかってこと。 表彰ってのは、成績に対する評価だろ。
国益の最大化は、どうやったらそのように評価できるかってこと。 表彰ってのは、成績に対する評価だろ。 そーだよ。 だから、評価を持ち出すのはおかしいでしょ?