2009-12-14

長年の間ただの友達だった女の子恋人になったことがある。

ある時にはすごく痩せて不健康になっていた。

彼女はすごく不器用で、少年みたいだった。

都会の出身らしい割り切りを持っていた。

「そんな見方ではなく、もっと深い見方ができる」といつも僕は思っていたが、言わなかった。

不完全な見解であってもそれを主張している彼女は可愛かったし、

自分としてはそういう点で争いたくなかった。

ある時、思い立って彼女の手をとってデートに誘った。

彼女には恋人が必要だと思ったからだ。

「だったそれが僕であってもいいじゃないか」そのときはそう思っていた。

なにか潤いみたいなものが彼女には致命的に不足していた。

彼女も僕に対しては好意を持っていたので、何回かデートした。

結構楽しかったし、旅行にもいった。

何回かデートしたあとでセックスすることになった。

驚いたことに彼女処女だった。

お互い20代の後半だったのだけれど、まだ彼女処女だったことにびっくりした。

普段の言動からは想像できないんだけど、彼女はすごく奥手なんだ。

でも、その後、ある問いに答えられずに別れることになる。

それは僕のイノセントさを問うような質問だった。

僕はイノセントではない。

なぜなら「不完全な主張をする彼女」を保護者的な観点から眺めていたから。

彼女にとって誰か恋人が必要だ」という理由で恋人になったから。

保護者的な立場に立ってしまったら真の意味恋人になれるはずがない。

僕は彼女のことは好きだったけれど、

恋人関係が続くならば遅かれ早かれ、どこかで偽りの衣を脱がなくてはならない。

その後、風の噂で彼女結婚したと聞いた。

たぶん僕が彼女を誘わなければ、いつまでも彼女結婚しないままだったと思う。

僕が彼女のなにかの扉を開いたのだ。

そういう意味では所期の目的を達成したとも言える。

このことについてはあまり後悔していない。

やるべきことを果たしたと思う。

ただし、僕は相変わらず独り身のクリスマスなんだけどね。

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