死を美しいように描く風潮は、もうおさまったのでしょうか。
今日のように、冷たい風が身体を切り刻むかのように、びゅうびゅうと吹き付ける日でした。
けれども、その報せを初めて聞いた時、剃刀のように頬を掠める風のことなどは気になりませんでした。
地震とも、雷鳴の後ともまるで違うその震えは、今も時折私の心を揺らしています。
そのたびに、瞼の内から沸き上がる熱いものを、私は止めることができません。
病気ならばまだ諦めがついたでしょうか。
あるいは、私たちがもっと歳を重ねていれば。
何もかもが突然でした。
しかし、人が生きる道の上に置いて、出会いや別れは、いつも突然に訪れるものです。
意識しないうちに準備をしているから、それらをすんなりと受け入れられるのだと、最近思うようになりました。
夢を追いかける、という言葉が薄く陳腐に聞こえてしまうのは、それだけ歳を重ねたからか、
それとも多くを諦めてしまったからか。
彼は夢を追いかけていました。そのための努力をいつでも喜んでしていました。
夢を叶えるために、彼は故郷から離れました。
遙か頂上を見据えながら、一段、一段を踏みしめて、彼は確実に階段を昇っていました。
幼い頃からの夢を諦めなかった彼には、階段を昇る資格がありました。昇りきる力をつけていました。
だけど、知らない誰かが横から彼を突き落としました。
全く知らない誰かです。今も誰も知らない誰か。あなたなんかいなければよかった。
様々な人に様々な目的で切り刻まれて、彼は故郷に帰ってきました。
その目に光は宿りません。瞼もどこも、動きません。
報せを聞いてからしばらく、私は鏡を見たくありませんでした。
元々好い顔立ちとは言えない、私の顔が、輪をかけて醜くなっていたからです。
瞼は腫れてしまって開ききりません。鼻水がだらしなく垂れていましたが止まりません。口は怒りにひん曲がり、眉は苦痛に歪んでいました。
だらだらと悲しみだけ流し続ける眼は、蛍光灯の明かりをいくつも反射していましたけれど、ちっとも綺麗じゃありませんでした。
それはみんな同じでした。みんな私と同じような顔をして、なぜ彼がいなくなってしまったのかと、何かに問うていました。
知らない誰かに顔があったら、名前があったら、余程よかった。
その場に綺麗なものはちっともありませんでした。
いつもは感銘を受ける大きな花束は、美しいはずなのにそうは見えません。
あそこに飾られた白百合に、どうしてあんなにも無愛想なのでしょうか。
あの場であんな顔をしていたのは、白百合だけでした。
出会いも別れも生き死にすらも、普通のことと思えれば、辛いことは何もないのに。
出会いや別れや生き死には、人が営みを続けるならば、そう特別なことではないでしょう。
そう思うのがとてもとても難しいというだけで。
どうかこれを読んでくださったあなたの心が、色鮮やかな花で満ちますように。