わたしの場合それはおそらく「うー」または「うーたん」からはじまる。
本名を「ゆう」と読むから、うーたん。青い色とたぬきのぬいぐるみが大好きな幼いこどもだった。
そういえばすべりだいに出来たクモの巣をこわがるともだちのために、手でとってあげたことがあった。
でもたぶん、わたしがあの子たちの中で一番クモがきらいだったし、びびっていた。
遊園地で観覧車とメリーゴーランドにこわくて乗れなかった小学校中学年のころ、
母親と見に行ったドラえもんの映画、始まる前に、映画館のくらさで泣き出した
わたしは自分のことをたしか「ゆう」と読んでいる。
友だちの家の門の近く、足のながいクモがわたしの服に張り付いて絶叫し
トイレの電灯のあたりに小さな子グモがうじゃうじゃいて気絶した。
中学高校に場所が移ると、自分のことを名前で呼ぶのが恥ずかしくなってくる。
それに好きな子ができたので、恥ずかしさはさらにつのり、自分のことを名前で呼ばないようわたしは懸命に努力した。
南ちゃんは、いくつまで自分のことを「南」と呼び続けたんだろうなあとかそのころから考え出した。
さて、わたしは初めの間は一般的な「わたし」を使うよう試みたが、違和感が強くうまく定着しなかったので
「わたし」「あたし」「わたくし」「あたくし」「せっしゃ」「うち」「われ」「わし」「ぼく」「おれ」「おいら」
色んなふうに、自分のことを呼んでみた。どれもピンとはこなかったが「ゆう」は次第に使わなくなっていった。
クモは相変わらず苦手だった。クモが部屋にいるのを見つけるとその部屋には数日入れなかった。
大学に入って、大学をやめて、違う大学に入って、働いて、一人称はまだ定まらない。
今のわたしは使いたいときに、その場にあうような一人称を探して使っている。
まあ、そういうのもいいかな。と思っていて、これからもそうして過ごすんだろう。
母と姉は「ゆう」がなつかしい、だからもどせ、とわたしに時々言ってくる。
でも、今の私は、暗いところが平気で、幽霊も信じていなくて、
遊園地のありとあらゆる乗り物に乗れる。そして、クモが怖くない。
「ええ、この前クモを見つけて、ゆうが怖がるだろうとおもったのになあ」
この前姉に言われて、気がついた。もう、わたしに、「ゆう」は二度とつかえない。