私的なコピーは当然の権利なんだから、それを許さないという想定の場合と比べた場合の収益の差を
被害とか損害とか捉えて補償を要求するなんて、土台、異常な発想だと思う。
(コピーできなかったら、例えば「持ち歩き用」にもう一枚CDを買うだろう、という想定はあきらかにおかしい)
技術の進歩そのものによって不利益を被ったからと言って、それの補償を要求できるということは、普通ありえない議論だろう。
だいいち、実現可能ですらない想定上の場合との差分なんて、いったもんがちじゃないか。
コピー不可なら買わないよ、という場合だってあるだろう。
そうじて、権利者側団体のものいいって、なんであんなに高圧的なんだろうな。
低圧的な権利者団体は早晩つぶれそうだ。 つか、叫ぶのが仕事みたいなものだよな。