昨日の日記を読み返してもの凄い自己嫌悪に陥り、悶々と午前中の病院めぐりを済ませてきた。
課長がぶーたれて嫌がっていたインフルエンザの注射はびっくりするほど無痛で、だけどこのネタをぶりかえすと私は大真面目に
と説教しそうだからもう封印する。
課長が楽しそうに語っていたディズニーランドデートの相手が、今の私と当時同い年の女性だっただけ。
おそらく過労ストレスのせいででてきちゃったにきびの治療を受け、でもその治療を受けなきゃと思ったのも肌荒れで出勤したくないからだったか、と思って苦笑いし、私は結局仕事に没頭するキャリアウーマンでもなんでもなく、ただオスにシッポ振ってる年頃のメスですね、と。
だけど私は、そうやって性が突き動かすヒトの行動にいちいち潔癖発動してることが一番嫌だ。
病院でとなりの席にいたお母さんに抱かれていた赤ちゃんを見ていた。かわいい。愛されてるかんじがする。
大人になった私は、人に愛されてるかんじを表に振りまいているだろうか?
言動と行動と精神的な部分がいちばん合致しないんだよね、性の話題はね。
まあ私は両親がその話題を兎に角最高のトップシークレットとして、一切の教育も受けず、両親にその匂いも感じず、ずっとずっと今日の今日のいままでやってきてるから、仕方ないことなのかもしれないな、と思う。
世間様の標準も知らず、つたない経験をぽつぽつ重ねたりしつつ、情報の海から得た知識を元に自分の意見も持ってるつもりだけど、肝心のハートがそれについていかない。
不倫してたわけじゃない、向こうが私を好きってわけでもない、たんなる片思い。
私は勝手に、あの人は年相応の落ち着いた女性と結婚して、40代らしい穏やかな結婚生活を送ってると思ってた。
それが実は相手が私と大して歳の変わらない小娘で、歳の差を乗り越えられる強い愛で結ばれてて、いっぱいセックスして、
子どもが中学に上がる頃には定年しちゃうけど子どもはもうけます、その、その人生の決意に嫌悪抱いてる私って何者?
ただ好きになっただけの精神的なつながりを求める自分は良くて、人生重ね合わせる決意をして心も体も委ね合ってる歳の差夫婦はダメ、っておかしくない?
ていうか自分だって、手をつなぎたいとかキスしたいとか寝たいとかほんとは思ってただろ?って。片思いの分際で純愛ぶるなって!
課長の大きな幸せを前に、結局自分の惨めさが浮き彫りになり、そこから逃げ出そうとして潔癖発動して課長を気持ち悪がってみたり、
自分の欲望を押し込めて純愛ぶったりするけど、ただ単に、いつもいつでも長く続いていく日々の失恋の道が突然上り坂になったからうろたえてるだけで。
相手に何もしないなら、好きで居続けることも欲望の対象にすることも、逆に嫌いになることも、勝手だと思うからそうしたい。
だけど人間として極めて基本的な、相手の幸せを祈るとか、命の誕生を祝福するとか、その部分だけは自分のダークサイドから守っていかなくちゃ。