これを読んで何となく。
http://smashmedia.jp/blog/2009/10/003106.html
前提として、何かを主張し、同意者を増やす事を目的とした文章を書くとき、「ここでこの部分突っ込まれそうだな」とか「この結論はソース提示しないと信用されないだろうな」とか、そういった事を考えながら自分の主張の穴を塞いでいく作業はとても楽しいと思う。何より、自分の主張が少しずつ堅牢になっていく実感がある。副次的に自分の知識が豊かになっていく実感も感じられる。だからとても楽しい。
養老氏が記事で述べている「予測」とは、もしかしたら「恐怖」の類義語なんじゃなかろうか。個人的には、
反論を予測しながら書くとどうなるかというと、これは官僚の作文に近くなっていきます。しかし、用意周到な文章なんて、読んでいてこれほどおもしろくないものはない(笑)。
予測された反論に対するスタンスの違いだと思う。反論自体が出来ないよう予防線を張るのか、反論されても「いえ、それはこうこうこういう理由がありますので不可です」ときちんと再反論するかの違い。
俺は用意周到な文章はとても美しいと思うよ。あらゆる方向からの反論に対して「防御」せず、きちんと「迎撃」している文章。すばらしい。いつかそんな文章を書きたい。