2009-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20090528233343

だいぶ前のエントリにいまさら書いても、という感じではあるが、

書かずにいられないので少しだけ。

*

好きな人が宗教の人だった。

ほんとうに辛かったけど別れた。

打ち明けられた当初は、私も「私は、個人の信仰は自由だから問題ないよと彼に言った。」心からそう思っていた。

1年くらいそのまま過ごして、ある日、総裁先生のお話会に出席する栄誉を賜って、行って、もう無理だと思った。それも伝えた。私は入れない、と。冷戦が訪れた。

>>「知ることと従う事はイコールではないというスタンスなのか、私があからさまにいやがってるというのに、知って欲しい、みたいなことを言って、本を送ってきたり。」

「どんなものか知ってくれるだけでいい、としつこく言うので、真光の道場(宗教の教場)にも行った」

「見たうえで行かないってなると、何が嫌なのって言われちゃうし、どこまでならいい?ってどんどん要求を小さくしていく。それに対してずっと、嫌だ、嫌だ、って言い続けていると、だんだん悪いのは自分のほうのように思えてくる。」<<

私もあった。最後のひとつはほんとうにそうだった。かたくなな自分がいけないのか?と思った。だけど受け入れられないものは受け入れられない。あなたがやるのはいいけれど私には強制しないで、そう言ったけど、本当は、譲歩が必要だからそう言っただけであなたにもやめてほしかった。

信教の自由があるから、あなたには信じる自由があるし、私には信じない自由がある。そんなことわかりきっているけれど、でももうお互いが好きだとそれで割り切れる話でもないのだよね。私が入ればあなたが喜ぶから、一緒の方向を見て生きたいから、入ってほしい、入ろうかと思う。

だけどそれは欺瞞だ。そういったら、「もう決定的にダメだね」といわれた。

*

いったん別れて、その後半年後くらいによりを戻してほしいといわれて、何度か会ったけれども結局断った。

一度醒めてしまった気持ちが、(一度は再燃しそうではあったんだけど、結局)もう宗教を超えるほどには燃え上がらなかったのと、冷めた目で見たときに、なんかとても程度の低い人に見えたから、ということだった。

燃え上がったままどこまでも行く方法もあるけれど、結婚(=生活)したら冷める日も来る。そこに宗教が襲ってきたときに乗り越えられるのか。あのとき乗っかっちゃったからで生きていく方法もあるけれど、それは少なくとも私には無理に思えた。

選べないものをトレードオフにすると苦しいと思うよ。

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