もうなんかいろいろなところで言われていて今更なんですけど、今更だからこそ紛れられるかなと思って書きます。
2ちゃんだかどこかのブログのコメント欄だかで「ヒロユキは漫画家になりたいのか?編集者になりたいのか?」というようなコメントを見かけましたが、彼はたぶん「社長」になりたいんじゃないかと思います。
コミックギアを一通り読んで、作品の内容と、巻頭や公式ブログ等で提示されている作り手(特にヒロユキさん)の思いを重ねてみると、このコミックギアは「作品」というより「製品」、執筆陣は「作家」というより「サラリーマン」という印象を強く感じました。で、ヒロユキさんが彼らをまとめる「社長」。
こういう言い方をするとけなしているように聞こえるかも知れませんが、今まで一匹狼スタイルが主流である漫画業界に、こういうチームで仕事をする、もっと言ってしまえば製造業的プロセスを持ち込んでいるという意味において、その目の付けどころと実際に運用している実行力は高く評価できるのではないかと思います。聞けば毎日定時に出勤しており、横の仕事にも目を配るとか。自己管理できない人種の多い漫画業界にあって、これは実に「健康的な職場」風景に思えます。
また、漫画の紙面からも全員が一定の画力を確保できており、チームとしての底上げというスタンスが伺えます。今回の執筆陣の多くが同人出身のメンバーですが、その「一定の画力の確保」さえおぼつかない同人作家を集めて、とにもかくにもこの水準まで全員を押し上げたというのは、まさにコミックギアスタイルの成功点なのではないでしょうか。少なくとも、いろいろな漫画雑誌を見る中で、コミックギアの「全体としての画力の最低ライン」は結構高い位置にあるのでは、と思います。
さて。ということでネットの評価を見る限り、概ねボロカスに言われていたコミックギアについて、プロセスと作品両面からポジティブなところを挙げてみました。
では、それで結局このコミックギアは良かったのか、と言われますと、それははっきり言ってしまえばネットのおおむねの評価通り、なのではないかと思います。つまり「全体的に漫画が面白くない」。
もちろん、全部が全部ということではありません。私個人としては「GoodGame」の続きは気になりますし、「プリンセスサマナー」の「勝ちたいヒロイン/負けたいライバル」の対比は読んでいてニヤニヤしました。
それでも、全部通して読んでみた後の読後感が薄いのです。あまり記憶に残らないと言うか、次への購買意欲につながらないと言うか。「気軽に楽しめる」が全作品に通じるコンセプトである以上それはある意味で狙った通りの結果なのかも知れませんが、500P超の漫画群をして全部「気軽な」漫画と言われても、夕食食べにレストランに入って、徹頭徹尾サラダバーで満腹を目指すような感じで、いくら手持ちが少なくともせめて299円のミニドリアくらいは食べたいなあ、とそんな物足りなさが付きまとうのです。
ではなぜこのようなことになってしまったのか。それは先ほど良い面を論じたコミックギアの製造業的手法(あえてこういう言い方をします)が、まさにそのやり方であるが故に起こってしまったものと思います。
製造業においてはまず「方針」があり、それに基づいて各部門が一丸となって取り組むのがあるべき姿です。経営が方針を示せない企業はどんなに現場に力があっても良いものは作れないでしょう。それが組織というものです。その点、コミックギアはヒロユキさんという社長が強力なリーダーシップを発揮して、漫画としての「方針」を示していると思われます。そして、社員である他の執筆陣はその方針達成に向かって最大限の努力をし、結果として一定の達成を見た。しかし、その達成が言ってしまえば「似たような構成」「面白さのツボが大体同じ方向」「似たようなキャラクター(特に主人公)」ということになってしまっている。
ヒロユキさん自身は決して自分のフォロワーを作りたい訳ではなく、一定の下地を作ってあげてその上で後は個々人の個性の発露を期待したものと思いますが、ある企業の製品として作り出されたものに社員個人の個性がどれだけ発揮できるのか。むしろそれは総体として見られるものであってひとりひとりが完全に切り分けられるものではないものです。ですから、このスタイルを取る限り、現状のような漫画が並ぶことから逃れることは出来ないのではないでしょうか。
そもそも、コミックギアの作家さんは何がしたかったのか。「漫画を描きたい」のか、それとも「漫画家になりたい」のか。「サラリーマン」と称したのは、多分後者なのではないかという思いもあったからです。コミックギアを批判されていた作家さんが「自分の世界」を表現するのが漫画家、というようなことを仰ってましたが、これはまさに前者としての在り方であり、その出来はともかくとしてまず描きたいものがあって、それを表現するために漫画家という職業についているという順番です。一方で、コミックギアの作家さんは何か表現したいもの、描きたいものがあったのでしょうか。漠然と絵が描きたくて、漫画家になりたくて、自分のやりたいことでご飯が食べれたら、人から評価されたら…そんな気持ちが先にあったのではないでしょうか。
勿論、それが出発点でも何も悪いことはありません。そうやって描いているうちに何か見つかる人もいるでしょう。しかし、その出発点からコミックギアに参加し、ヒロユキさんの「方針」に従い続けているのであれば、多分、ずっと「サラリーマン」なのではないでしょうか。とあるメーカーの役員が「自分でやりたいことのある奴はそもそもサラリーマンなんかにならない」と仰っていました。作家とは、そういう組織で仕事をするサラリーマンの対極の位置づけだったのです。(よくトキワ荘を例に挙げて「チームで仕事をする漫画家はいた」という発言もありますが、彼らは「組織」ではありません。また、赤松健やさいとうたかをについても彼らの内部は組織だってますが、その内部の個々人が独立した「作家」ではありませんのでそれもまた別のスタイルです)
結論。
コミックギアの製造業的手法は、漫画という仕事をする「サラリーマン」にとってはよくできた仕組みだが、「作家」にとっては逆に枷となりうる危険性を持つ諸刃の剣。
ちなみに私自身としては「サラリーマン」の描く漫画も「方針」次第で面白くなるものとは思いますが、それをやはり「雑誌」にしてしまうとひどく画一的なものになってしまうので、そんなものは単行本でいいのではないかと考えます。しかし、となると今の単行本重視の漫画業界を鑑みるにこのコミックギア手法も実はそんなに悪手ではないのかな、とか。
それでも、「漫画家」になる勇気がなくてサラリーマンやってる同人作家の自分としては、本職の作家さんは組織に適合するような志の低いことはしてほしくないなあとも。コミックギアは自分の現状の嫌なところを見せ付けられたというのが正直なところかもしれません。