2009-08-19

わからないことへの耐性-ネットサヨクを考える

最近の若い人、とくに「はてサ」とか「ネットサヨク」と呼ばれる人たちを見て思うのですが、

彼らは、自分が「わからないこと」への耐性がきわめて低くなってしまっているのではないでしょうか。

目の前に自分の理解できない対象が存在すると、無視するか、その対象を差し出した人に対して苦情を言うか。

いずれにしても、わからない対象をわかってやろうという姿勢を彼らは持たない。

すぐにわからないまでもいつかわかってやろうと心に留めておくことができないという気がしてなりません。

考えるに、彼らは、やってもわからないものがあるということを許容できない。

そもそも、簡単にわかろうとしすぎるのです。わかろうとする努力ができないのです。

結局、ひたすらわかろうとしつづけ、その時々でこれだと思えるような解釈をつくりつづけていくしかないということを忘れてしまっている人が多いのではないでしょうか。

それゆえに、自分のなかで「なぜ?」を繰り返しつづけることができず、こうすれば結果が出るという方法を安易に求めてしまう傾向がある。

これで何が困るかというと、ひとつには未知のものに対した場合の対応の懐の浅さが際立ってしまうということ。ちょっと普段と違う出来事や自分の知らない世界に出くわすと行動や頭の働きがフリーズしてしまったりする。よく言われる「思考停止」ですね。

もうひとつには他者への配慮が著しく欠けてしまうようになること。相手との距離がはかれず、相手とのコミュニケーションに支障を生じるようになります。

他にも困ることはあるはずですが、いずれにしても型どおりの行動しかとれなくなり、未知の状況、未知の相手に対する対応能力が著しく失われていってしまうのだろうと思います。答えがわからないと対応できないのですから当然です。わからないものをわからない状態でも、なんとか自分の身で引き受ける方法の引き出しを普段から用意しておくということを怠っているから、そうなるのは仕方がありません。

わからないという状態に耐えながら、それでもずっといつかわかってやろうと努力しつづける。もちろん、その努力はむくわれないとわかっていたとしても、そんな安易な理解を拒み続けて、わかろうとすることにこだわること。それができなくなっているのではないでしょうか。

ネット左翼の人は、他人とのコミュニケーション、周囲の環境とのコミュニケーションが不全になってしまうことを避けるためにも、わからないことへの耐性を鍛える必要があるのではないでしょうか。

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