【帰ナチ法とは?】
「ナチスは砂糖を使った。○○も砂糖を使う。だから○○はナチス的である。」
「ナチスはホロコーストを行った。だからホロコーストはナチス的である。」
…事実としては(たまたまホロコーストを行ったのがナチスだけなので)あながち間違いではないが、論理としては間違い。
※こうした主張には「ナチス的である=悪」という前提が含まれていることが多いが、この前提が成り立つかどうか否かにかかわりなく、帰ナチ法は誤謬である。
トリアージ批判において主張されている内容;
「トリアージが倫理的に正当化される理由(資源の絶対的な希少性と、ある基準に基づいた合目的的な資源の最適配分の必要性)と、ホロコーストが倫理的に正当化された理由とは同じである。
したがって、『ある基準』が正当化される限りにおいてトリアージは善だというならば、同様にしてホロコーストも善だといわねばならない。」
もし帰ナチ法であれば、
「ナチはトリアージを行った。だからトリアージはナチ的である。(だから悪い。)」
とか、せいぜい
「ホロコーストでは人が死ぬ。トリアージでも人が死ぬ。だからホロコーストとトリアージは同じである。(だから悪い。)」
というくらいの主張にしかならないだろう。
トリアージ批判の論法が帰ナチ法であるという非難は、失当であろう。
【ところで…】
ホロコーストを倫理的に正当化する「ある基準」に対しては、おそらく当時のドイツ市民の多数が支持を与えていた(少なくとも、多数の支持によって基礎づけられた政治権力が、その基準を定めていた)と思われる。
Sokalian氏は、いわゆるネオリベ政治家を支持する人たちを批判するsarutora氏に対して
「曲がりなりにも法的・民主的手続きによって選出された人物を支持する人をこのように見下したように切り捨てるのは選挙民への冒涜だと思うが、いかがであろうか」
と言っている。
このように考える人が、法的・民主的手続きによって選出された政治権力が決定した基準に基づいて、合目的な資源の最適配分として遂行されたホロコーストを、価値基準が間違っていたという理由で非難し、トリアージと一緒にするな!と言うとすれば、それは当時のドイツの選挙民への「冒涜」ではないかと思うが、いかがであろうか。
まだトリアージ論争やってるのか。 はてサは飽きないな。
gokiburiはニートをまだやっているのか・・・・