オレは片目が見えなかった。
残りの目もそれほど視力はよくなかった。
その頃、目が見えない障害のある人間には選択肢はほとんど一つしかなかった。
鍼灸師になることだ。
それについては迷う余地がなかった。
オレは周りの人間に勧められるまま、というか選択しようとせずに鍼灸師の道を目指した。
楽そうじゃないか、と思った。
だが、オレは鍼灸師には満足できなかった。
なんとかして金を儲けたかった。
社会的に高い地位につきたいと思っていた。
そのためには何でもしようと思った。片目が見えないことなど問題ではない、と世間に知らしめてやるつもりだった。
だがオレはくじけなかった。
大きなきっかけになったのは、宗教団体に入信したことだ。
オレはここで宗教団体のテクニックを学んだ。
まったく別の価値観が支配していた。
宗教ならオレのような底辺の人間でも社会的地位の高い人間と対等に渡り合える。
宗教なら、オレの望みを叶えてくれる。オレにはそう思えた。
どのようにすれば人を宗教的な集団に取り込むことができるのか熱心に考えた。
最終的にはかなり強力なテクニックを作り上げることができたように思う。
一種の洗脳で自己啓発セミナーや宗教団体がよくやる内容だが、効果には間違いがない。
このテクニックは予想以上にうまくいき、順調に信者を増やすことができた。
出家を推奨し、出家した信者からは財産をすべて巻き上げることができた。
いつしかオレは「自分にできないことはない」といった気持ちになっていた。
今から考えると慢心だが、当時は信者からの献金がとてつもない額になっていたので、
本当になんでもできるような気になってしまっていた。
国政に関わるつもりだったので立候補もしたが、票が集まらずに落選した。
選挙区民全員を洗脳できればよかったのだが、そこまではさすがに無理だった。
さらに信者を増やし、勢力を拡大するつもりでいた。
しかし、あるときからオレの身辺に警察の手がまわりはじめた。
我ながらアホだとは思うのだが、どうも自分には遵法精神というものが先天的に欠けているようだ。
原因は組織にとって不都合な人間を黙らせるために荒っぽい手を使ったせいだ。
これが警察との泥沼の戦いに引きずり込まれる鍵だったとは当時は気がつかなかった。
最後にはオレ自身にも手がまわりそうになった。
結局我々の敵は警察組織、ひいては日本国家だということになった。
そうであるならば、潰すか潰されるかだ。まだ相手が油断しているときに先手を打つべきだ、というのがオレの判断だった。
初撃で致命的なダメージを与えれば反撃できないだろう。
一か八かの賭けだが勝算はあると踏んでいた。
証拠がなければ逮捕できない。テロリズムによって警察を混乱させ、かつ力を奪い取ることができる。
結局のところ、これは失敗だった。
オレが指示したことが結局はバレてしまった。
オレは賭けに負けた。逮捕され死刑判決を受けた。あとは死刑を待つのみだ。
もっと本当に大きな力をつけてから警察力に立ち向かうべきだったと思う。
正面から立ち向かわずに、裏からなんとかすべきだった。
すでに政界に進出している宗教団体がやっていたのと同じ手段を使ったほうがよかった。
冷静な判断ができなかった。
都合の悪い人間を消すときももみ消す準備を先にしておくべきだ。
最後の一文が涙を誘う……