大多数において、人間の性的嗜好、特にエロコンテンツを観賞するという観点での嗜好は、思春期に形成され、その後の長い人生においても支配的な影響力をもつことになる。
簡単に言うと思春期に接したエロ画像がその後の好みを支配する。
だから、中年男性はエロ写真の陰毛にさほど執着しない。むしろ邪魔なものだと思ってる。彼らが若かった頃、エロコンテンツに陰毛を載せると発禁あるいは逮捕される恐れがあったから、そういう画像のカジュアルな入手は困難であり、そのため脳が陰毛をエロいものとして認識するよう訓練されていないのだ。一方、今の20代はエロ写真に陰毛はあって当然だし、ないと物足りないと感じている。
二次元の例も考えてみよう。今の20代は、エロ漫画の挿入シーンに断面図があってもなんだこれとか思わない。むしろ興奮する。ここ10年で爆発的に普及した描写である断面図に脳の性的回路が興奮するよう訓練されているのだ。一方中年はこうした表現への反応は薄い。むしろグロいとすら考えている。
もちろん、中年男の好みに合致したエロコンテンツを供給することに何の問題もない。彼らの不慣れな表現を隠せばいい、描写しなければいいだけだからだ。
さて、現代日本の性的コンテンツにおける猥褻基準の緩さは極限まで達している
、これ以上規制をゆるめるとしたら、もう性器全開にするか、実在児童ポルノなどの猥褻かどうか以前の犯罪的要素を加味する以外にないという状態だ。
故に、これ以上の規制緩和はきわめて厳しい状態にある。
一方、規制を強化すべきとの内外からの圧力はすさまじいものがあり、先日もゲームコンテンツにおいて規制強化が報じられたばかりであり、ゲーム以外のコンテンツにおいても同様の圧力がある。
つまり、人類の性的描写基準はこの21世紀初頭日本をピークに、規制方向へと転がり落ちてゆく公算が高い。
これを、冒頭の話とあわせると、現在の緩和いっぱい基準で描写されたエロコンテンツにリビドー回路を最適化された現在の若者は、今後予想される規制強化によって、好みを最大限に満たす描写を合法的に消費することが困難になる公算が高くなる。
それは現在の中年が感じている疎外感などとは比較にならない。中年は自分の趣味が主流じゃなくなったことを嘆くだけだが、若者は自分の趣味にあったエロが世界から消滅してしまうのだ。