例えばAというものを発明して流行させた結果、副作用として甚大な被害Bが出た。
人々はここでAを遠ざけ、憎み、消滅させようとするのであるが、
ある人々は「Bという副作用を持たないA」というものをなんとか作れないか?
と考える。それは無益なことではないのだ。
ところがこのことは理解されない。人々にとって被害BはAを永久に憎むのに充分すぎる。
だからAが改造されるという可能性を徹底的に否定する。そんなものが作れるわけがないと。
仮に改造がが成功する可能性を認めたとしてもAを否定するだろう。それがある世界は嫌な世界だと。
子供の時何かを食べて、たまたまその直後に苦しい風邪をひいたりしたら、その次からなぜかその食べ物を食べられなくなることがある。
直接毒である場合も同様だ。貝を食べたら、たまたま傷んでいたらしく、当たってしまい、高熱嘔吐ゲリに悩まされたとする。
すると次からその貝を食べられなくなってしまうことがある。新鮮であることが明らかであれば大丈夫なはずなのに、それでも食べられない。
人間の思考はこういう形なのだろう。