2009-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20090419013113

ああ、キリスト教は神さんと個人の対話みたいなくくりで考えるから、個人個人がキッチリ分離してるんだろうなとは思う。神によって個人が保証されてると言うか。どこどこの集団の構成員としての自分以前に、神の前の個人としての自分みたいな。

でもキリスト教国の実際を見るとそれが理想通りの運用をされてるケースは少ないようにも思う。非キリスト教国よりは幾分マシなんだろうけど。

その辺、単に運用が悪いのか、それともそもそも現行人類には不可能な理想なのか、ってとこだろうけど。

記事への反応 -
  • 時に対立しあいながらも必要なところで手を結んで生きていくしかないよね、というあたりが落としどころじゃないでしょうか。 あなたが家族を愛するようにあなたの所属するグループ...

    • その辺ラディカルに突き詰めれば、生まれた瞬間に子供を親から引き離して、地域で育てるなりなんなりして、しかも一定の地域でずっと育てるんじゃなくあちこちへ(地球中を転々と...

      • それじゃ駄目だろ。もっと大きな組織に子供をゆだねてるだけになる。 現実問題として子供は家族が育てるしかないし、その家族を地域共同体は支えなきゃいけないし、多くの職種では...

        • つまり「自分の所属する集団に対して常に疑え、心までどっぷりつかるな」っていう教育を徹底させるって感じ? そうすることで自分が被害者になるような内部的抑圧とか、外の人が被...

          • そういうことだと思う。 後はまあ、キリストっぽく、集団への所属の枠をはずして、近くにいる人にたいして愛が持てる人間になろう、というのも、善いことだと俺は信じたい。

            • ああ、キリスト教は神さんと個人の対話みたいなくくりで考えるから、個人個人がキッチリ分離してるんだろうなとは思う。神によって個人が保証されてると言うか。 でもキリスト教国...

              • 神対個人ってのはプロテスタントでは?カトリックは間に教会入れる。イスラムは聖職者なしというのが基本のはず。だから法学者が出てくる。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん