2009-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20090320233051

逆の場合を考えてみたい。すなわち、「車(=貴方)の出来が芳しくない場合」。

A’氏とC’氏は車の評論家で、A’氏の批評には実績・定評があるがC’氏には特段の実績がないと思いねえ(流石にメーカー自分の車を駄作という状況は考えにくいので)。

A’「この車は駄作だ」

B’「あの人が駄作とまで断じるのだからあの車は買えたものじゃない」

これはわかりやすい。しかし、

C’「この車は駄作だ」

というとき

D’「C’の言うことじゃ信用できないから、あの車を買ってみようか」

ないし

D’「C’の言うことじゃ信用できないけど、あの車は買わない方がいいだろう」

とは、たぶんならない。単に

D’「C’の言うことじゃ信用できない。A’の批評とか出てねえの?」

スルーされるだけだろう。

酷評に限って言えば、信用ならない評者=無能な上司意見がもたらす影響というのは、貴方に対して中立的だ。それは、単に無能故に上司が周囲からも軽んじられているからなのだが。これに対して、有能な上司貴方を酷評するとき、その意見は周囲に重んじられ、それ以後に無能のレッテルを覆すのは困難だろう。

つまり、特段仕事努力する気もなく、窓際でのんびり生きたいだけならば無能な上司も悪いことばかりじゃないというお話

記事への反応 -
  • 自分を評価している人がその業界でどのくらい影響力があるのか、ということは非常に重要だと言うことです。 ある人が何かを評価したとしても、その評価が周囲に影響力を持つかどう...

    • 逆の場合を考えてみたい。すなわち、「車(=貴方)の出来が芳しくない場合」。 A’氏とC’氏は車の評論家で、A’氏の批評には実績・定評があるがC’氏には特段の実績がないと...

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