逆の場合を考えてみたい。すなわち、「車(=貴方)の出来が芳しくない場合」。
A’氏とC’氏は車の評論家で、A’氏の批評には実績・定評があるがC’氏には特段の実績がないと思いねえ(流石にメーカーが自分の車を駄作という状況は考えにくいので)。
A’「この車は駄作だ」
B’「あの人が駄作とまで断じるのだからあの車は買えたものじゃない」
これはわかりやすい。しかし、
C’「この車は駄作だ」
というとき
D’「C’の言うことじゃ信用できないから、あの車を買ってみようか」
ないし
D’「C’の言うことじゃ信用できないけど、あの車は買わない方がいいだろう」
とは、たぶんならない。単に
D’「C’の言うことじゃ信用できない。A’の批評とか出てねえの?」
とスルーされるだけだろう。
酷評に限って言えば、信用ならない評者=無能な上司の意見がもたらす影響というのは、貴方に対して中立的だ。それは、単に無能故に上司が周囲からも軽んじられているからなのだが。これに対して、有能な上司が貴方を酷評するとき、その意見は周囲に重んじられ、それ以後に無能のレッテルを覆すのは困難だろう。
自分を評価している人がその業界でどのくらい影響力があるのか、ということは非常に重要だと言うことです。 ある人が何かを評価したとしても、その評価が周囲に影響力を持つかどう...
逆の場合を考えてみたい。すなわち、「車(=貴方)の出来が芳しくない場合」。 A’氏とC’氏は車の評論家で、A’氏の批評には実績・定評があるがC’氏には特段の実績がないと...