2009-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20090314055035

もっと正確に言うと「自分の話を心底聞きたがってくれる人」だったりする。

ナンシー関が書いてたけど、有名人なんかで、芸能記者に根掘り葉掘り聞かれてるうちが花で、盛りを過ぎたタレントの話はビックリするほど需要がなかったりする。ところがタレントは話したいんだ。

しかし、それを隠蔽し、観客がなぜかタレントの話を聞きたくなるようなマジックが「ごきげんよう」における「さいころトーク」だったりする。

もしさいころがなかったら誰がお前の「情けない話」を聞きたがるんだ? というようなタレントでも、さいころで「情けない話」が出たんだから「しゃべらざるを得ない」という、「話を求められている」という擬似的空間ができあがる。「ええ?何話そうかなあ、困っちゃうなあ」とか言ってるタレントはそのとき実は至福の瞬間を迎えているのだ。

  • 話はそれるけど、ナンシー関は本当に微妙な時期に死んでしまったなと思う。 個人的にはもう少し生きて、テレビの衰退をちゃんと書き残して欲しかった。 ナンシー関の後釜になってる...

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