20年ほど前は、「よい日本語を学ぶために新聞を読め」という国語教師がけっこうな数存在した。
幸い実践したことはなかったけれども、今にして思うとこれはかなり恐ろしい状況だった。
新聞記者は、限られた文字数に情報を詰め込むために、相当無茶をする。
あんなものに日本語として学ぶべきことがあるとは到底思えない。
今の国語教育の現場は大丈夫だろうか。
Permalink | 記事への反応(1) | 13:41
ツイートシェア
関係ないけど「日本語を」っていう言い方をする人があんまりいなかったような気がする。国語の勉強になるとか正しい言葉遣いをみたいな感じだったような。 大野晋の「日本語練習帳...
あーそうだった。「日本語を」という言い方じゃなくて、 たしか「作文力をつけるために」みたいな言い方だったような気がする。