(景観であれ建築であれ何であれ)「生活の営みの集積で結果としてできてしまった無意識の造形や、エンジニアリングが卓越したために思わぬ形態をとった造形」を超える,“美しさが意図された”デザインを達成するには,卓越したエンジニアリングや蓄積された膨大な生活の営みを超えるだけの提供側の本気度が必要だ.
それだけのエネルギーが必要であるのは何故か。下の「気持ち悪さ」と関係するような気がする。
提供側が受け手に媚るようなデザイン,不自然な存在感を放つ間に合わせのデザインは,景観に限らずとても気持ちが悪い.
この「気持ち悪さ」は何から生まれるのか。
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