僕は今まで死んでいた。無益な事ばかりをしていた。非生産的で、怠慢で、無価値なその行動を「死んでいた」と形容する時点でまた、まだ死んでいると言える。
理由は分からない。何が間違っているとか、何が正しいとか、そういう事を考えられる頭ではなくなってしまったから、「なぜ死んでいたか」に対する因果関係はおろか何らかとの相関関係さえ見出せずにいる。
昔を思い出す。それはいつだって良い。物心がはじめてついた時でも、幼少の頃遊びに夢中になっていた頃でも、悲しみに嵌り対人関係を拒んでいた時でも。何か本質的な部分で自分が成長した点はあるだろうか?恐らくない。
だから「死んでいる」。零点にどんな係数を与えても不動な様に意味のない事ばかりをずっと掛けあわせていた。それがその場限りの対処法にはなっても遠続的な策にはならない。そしてその場限りの策を選んだ責任は僕が負い、ロングスパンから見た相対的なマイナスの利益も確実に自分のものになってしまう。誰も本当の意味を教えてくれない。いや、単に僕が何に対しても懐疑的なだけなのかもしれない。
近いものに信仰心に対する疑惑がある。それは往々にして非科学的であって僕としては考慮するまでもない事だけれど、やはり信じるものがないことによる心の隙間はどうやっても埋められない。
今が苦痛なく過ぎることを願い、明日も同じ様に変化のない日である事を望む。それが諸悪の根源だ。
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