何の宗教かは伏せておくが、熱心なって自分で言うくらいだから、ある程度の人たちには想像が付くと思う。
自分の宗教に対して信じる気持ち、つまり信仰を僕は持っているわけだが、その「信仰」を自分はよく理解していなかったと言う事に最近気がついた。
自分は、宗教に関する知識を持っていて、「信仰」らしきものがあるが「信仰」には全然足りない状態だった。
だが、とある事件(というほどの物でもないが、分かりやすくするために事件とさせてもらう)がきっかけでその事を真剣に考えるようになった。
なぜ、自分はその宗教を信じる事が出来ないのか。逆に、その宗教を信じれる根拠はどこにあるのか。
信仰と疑念というのは切って切れない関係で、疑念を晴らすために信仰を強め、その信仰を強めるために疑念を持つ。
そこまで自分は信じると言う事の「意味」を、「真意」を理解できるのだろうか。
宗教ってのは深いんだなぁと改めて思った。
この宗教に触れてから実に二十年近くが経過している。
今のペースで行って果たして「真理」に辿り着けるのだろうか。
ほんの少しだけ気持ちが萎えたが、そこに必ず辿り着けると「信じて」頑張ろうと思う。
それも、自分の「信仰」の一つであるから。
真理に辿り着くのが信仰なんですかね。まあいいけど、 「と言う事」って「ということ」と書くほうがいいよ。