2008-09-27

信仰について

自分はいわゆる「宗教」に熱心な「信者」に属する人である。

何の宗教かは伏せておくが、熱心なって自分で言うくらいだから、ある程度の人たちには想像が付くと思う。

自分の宗教に対して信じる気持ち、つまり信仰を僕は持っているわけだが、その「信仰」を自分はよく理解していなかったと言う事に最近気がついた。

信仰ってのは「○○を信じる」という字面以上の意味がある。

自分は、宗教に関する知識を持っていて、「信仰」らしきものがあるが「信仰」には全然足りない状態だった。

だが、とある事件(というほどの物でもないが、分かりやすくするために事件とさせてもらう)がきっかけでその事を真剣に考えるようになった。

なぜ、自分はその宗教を信じる事が出来ないのか。逆に、その宗教を信じれる根拠はどこにあるのか。

信仰と疑念というのは切って切れない関係で、疑念を晴らすために信仰を強め、その信仰を強めるために疑念を持つ。

矛盾しているようだが、そうする事で「信仰」が「成長」する。

これは、自己洗脳に近い行為なのかもしれない。

真の信仰ってのは自己洗脳以上の力を持っている。

そこまで自分は信じると言う事の「意味」を、「真意」を理解できるのだろうか。

宗教ってのは深いんだなぁと改めて思った。

この宗教に触れてから実に二十年近くが経過している。

今のペースで行って果たして「真理」に辿り着けるのだろうか。

ほんの少しだけ気持ちが萎えたが、そこに必ず辿り着けると「信じて」頑張ろうと思う。

それも、自分の「信仰」の一つであるから。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん