は、驚くべきことだが、可能である。
http://anond.hatelabo.jp/20080902154437
「自分はこんなに不幸、こんなにかわいそう、誰も助けてくれない、苦しい」で終わるって、
中学生ならまだわかるが、あんたの人生誰も引き受けてくれないよ、あんたが生きるしか
ないんだから、かわいそうなのはわかったから、最後は自分でケツ拭きなよ、と思うのだけど。
「あんたの人生誰も引き受けてくれない」というのはあまりにも使い古された文句であり、誰がどう考えても圧倒的に真実なのだが、もちろんこれが単なる事実なのであればわざわざこのような言葉が口にされることはないのであり、言ってしまえば、他人の人生を引き受けるということが
何らかの形でありうるからこそ、そのような振る舞いを咎めるという行為が必要とされる場合があるのだと考えざるをえないのではなかろうか。
卑近に言えば「愚痴を聞いてやる」ことがそれに当たるのかもしれないし、もしかしたら愛とか恋とかに関わるのかもしれないし、自我が同一化の審級であることに関わるのかもしれない。