現実に抗わない。
追従しなければ成り立たないからこそ使えるし確立できるのだろう。
でもなぜ「そうである」のか答えてくれはしない。
ただ「そうなのである」と述べるばかりだ。
世界の仕組みをばらしてはいるけれど、同時に世界を記号化していっているよう見える。
この世はテレビゲームのように0・1だけでできている気がして、何かを学んでいくことが世界を無味なものにしていくようで。
そんな思いを打ち消せないのだ。
自分は現実をよく知らないのかもしれない。
0・1だけで、いや科学だけですべて片づけられるほどに世界は単純じゃない、ということを知れないでいるのかもしれない。
だったらいいのだけど、いずれあらゆる現象の仕組みが画面上でシミュレートできてしまうようになったら。
生きている実感とかなんだとかを画面上で感じられるようになったら、
どうしようもなく「俺以外みんな哲学的ゾンビなんでね」感にさいなまされそうで。
いま自分がそんな気分なんだけど、この先もっとそんな人が増えそうで心配なのだ。
そんなはずねーと思いたいのに否定する材料も労力もなくてどうすりゃいいやら。
何がいけないのだろう。自意識過剰すぎるだけならその治し方が知りたい。
(実は科学とかどうでもよくて自分の自意識過剰さとかどうしても消せない「マトリックス感(造語)」の克服法を得たいだけでした)
それでも、世界を観察しようと欲する、あなたという主体は消えないのだ。 コギトエルゴスム。
「シュレディンガーの猫」ってゾンビみたいな話知ってる?
ライフゲームのFペントミノってのもあるな。 いくら単純な法則でも世界が複雑である事に変わりはない。